Hungry Freaks

アート、自然などをテーマにしたグッズをSUZURIとTシャツトリニティにて販売中。

V・ブルーメンシャイン「白夜のタンゴ」

 

タンゴにはアルゼンチン・タンゴとコンチネンタル・タンゴがありますが、アルゼンチン・タンゴのほうは、だいぶ前から時折聴いています。やはりアストル・ピアソラが入口でしたが、「ラ・クンパルシータ」や「エル・チョクロ」のような古典的な曲もコンピレーションアルバムなんかで聴いたりしています。

コンチネンタル・タンゴ、つまりドイツなどヨーロッパのタンゴはアルゼンチンのものに比べるといわゆるイージーリスニングふうで、私には面白みがなく、なかなか聴く気にはありません。

ですから、タンゴといえばアルゼンチン、と思ってきましたし、アルゼンチンがタンゴの本家なのだろう、と決めつけてもいました。

 

ところが、この「白夜のタンゴ」というドキュメンタリー映画では、フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの声が「私は怒ってるんじゃない…いや、ちょっと怒ってるかもしれない」と話を切り出し、タンゴの起源はフィンランドであり、それが船乗りたちを介してウルグアイへ伝わり、さらにはアルゼンチンにも伝わってそこで花開いたのだ、と言い出します。

タンゴの歴史に詳しくない私などは、へえ、そうなんだ、と思うばかりですが、この映画に出てくるアルゼンチンのタンゴ・ミュージシャン3人は、そんなばかな、とカウリスマキの説を嗤います。そんなのはマラドーナが日本人だというようなものさ、などと言ったりもするのですが、ひとつその説を確かめてやろうじゃないか、ということで3人はフィンランドにやって来ます。

とはいっても、演奏が本業の陽気な3人は生真面目にタンゴの歴史を調べようとしたりなどしません。電車や車でフィンランドをあちこち移動して、真夏のフィンランドの美しい風景やサウナを愉しみながら、当地の音楽家たちに会っておしゃべりしたり、一緒に演奏を楽しんだりというシーンが続くのですが、「良い物は世界の財産で、悪い物は地域の問題さ」「音楽制作は聴くという行為の極致だ」「音楽は沈黙の一種だ」などと深い発言がポンポン飛び出したりもして、3人の旅はなかなか刺激的です。

そして最後に登場するのがレイヨ・タイパレという、フィンランド・タンゴのレジェンドのような存在で、カウリスマキの「マッチ工場の少女」にも出演しています。彼が同映画で歌う「サトゥマー」は彼の代表曲であり、フィンランド・タンゴを代表する曲でもあります。この曲は、フランク・ザッパヘルシンキでのライブを収めたアルバムでご当地ソングとして演奏しており、私も学生のころから知っています。

アルゼンチンから来た3人とタイパレが、白夜の湖畔でこの「サトゥマー」を歌うシーンはとても美しく、心底愉しそうに演奏する4人に羨望すら覚えます。

 

旅を終えた3人は「フィンランドにもタンゴはあったね」などとわかりきったことを結論にしてブエノスアイレスに戻り、映画は終わります。

ですから、カウリスマキが映画の冒頭で唱えた説が正しいかどうかは最後までわかりません。ただフィンランドのタンゴには素朴な感じがあって、やはりアルゼンチン・タンゴの古形なのかな、と思わせるところはあります。

しかし歴史的にどっちが先かなんてどうでもよくて、それよりも今を楽しむの音楽でしょ、というミュージシャンたちの気持ちが伝わる、いい映画でした。

 

白夜のタンゴ [DVD]

白夜のタンゴ [DVD]

  • ワルテル”チーノ”ラボルデ
Amazon

 

 

Hungry Freaksでは、映画を題材にしたデザインを多数取り揃えています。

ぜひぜひ、お立ち寄りくださいませ。

Hungry Freaks ( Hungry_Freaks )のオリジナルアイテム・グッズ通販 ∞ SUZURI

Hungry Freaks|デザインTシャツ通販【Tシャツトリニティ】 (ttrinity.jp)

Hungry Freaks(@FreaksHungry)/ Twitter

清志郎を思う 3

二階俊博の「黙って手を合わせていればいい」という発言にも呆れ返りましたが、「太田光をテレビに出すな」だの、「山上容疑者をモデルにした映画を上映させるな」だの、あるいは遡れば「反日的な美術作品を展示するな」だの「殺人犯の書いた本を出版するな」だの…、そういう「黙れ、失せろ」的な、ものの言い方が(意見の内容や立場とは別のレベルで)どうしてこうも溢れ返っているのでしょう?

 

私は国葬なんてくだらない政治的イベントにすぎないと思っていますし、カルト規制の法制化にも賛成ですが、そういう問題以前に、日本の今のような言論のありように心底うんざりしています。

 


www.youtube.com

 

Hungry Freaksでは、メッセージ性のあるデザインも取り揃えております(ビンジョー!)。

ぜひぜひお立ち寄りくださいませ。

Hungry Freaks ( Hungry_Freaks )のオリジナルアイテム・グッズ通販 ∞ SUZURI

デザインTシャツ通販【Tシャツトリニティ】 (ttrinity.jp)

Hungry Freaks|デザインTシャツ通販【Tシャツトリニティ】 (ttrinity.jp)

ジャン=リュック・ゴダール

今回のデザインは「JLG追悼」。JLGとは、先日亡くなったジャン=リュック・ゴダールのことです。

ちょっと、こっ恥ずかしさがないわけではないのですが…。

 

ところで「ゴダール」といえば「難解」、というのがほとんど掛詞のようになっていますが、かつて淀川長治が、ゴダールの映画はよくわからないけれども、空を美しく撮っていたりして、私は案外嫌いじゃない、というようなことをどこかで書いていました。

確かにゴダールの映像は美しいです。空だけでなく、海も、緑も、街も、室内も、そして人…とりわけ女性も、ファッションも含めて。


www.youtube.com

 

また、これはゴダール独特のものですが、タイポグラフィ、つまり文字を使ったデザインもとても美しいです。オープニングタイトルだけでなく、映画の途中で唐突に文字だけの画面が挿入されたりもしますが、シンプルでかっこいい。

見た目だけでなく内容もシンプルな場合が多くて、"PONTI" "GODARD" "COUTARD" などと何の説明もなしに苗字だけがテンポよく表示されるのなど、オシャレだなあと思います。

また自分の作品だけでなく、ロベール・ブレッソンの「少女ムシェット」の予告編をゴダールが作っていて、やはりタイポグラフィをうまく使っています。

私は以前からゴダールタイポグラフィを何らかの形で真似してみたいなあと思っていて、今回とうとう望みを果たしわけですが…どうでしょう?


www.youtube.com


www.youtube.com

 

その他にも編集のテンポのよさや音楽の大胆な使い方など、理屈を持ち出す必要のない美しさやカッコよさや楽しさがゴダールの映画には溢れているように思います。

それならば、なぜ彼の作品は「難解」といわれてしまうのでしょう?

ストーリーの語り方がひねくれているからでしょうか?

確かにゴダールの映画には、観客をストーリーに引き込もうとか、ストーリーにリアリティを持たせようとかいう意思があまり感じられない、というのはあります。

しかしストーリーそのものに無関心か、というと、ちょっと違う気もします。女に振り回される男の悲哀とか、恋愛の喜びと苦さとか、テクノロジーを駆使した超管理社会の恐怖とか、売春をするに至る主婦の虚無感とか…、いろいろとひねくれた作り方をしてはいても、ストーリーがもたらすこれらの情感はちゃんと感じられるからです。

それじゃあ、アンチ商業主義だから?

確かにゴダールはそもそも左翼ですし、いわゆる「商業主義」とは正反対の人ではあったでしょう。

しかし商業主義ではなくとも、ファッションやグラフィックデザインのような商業芸術とは親和性が高いように思えます。ローリング・ストーンズやレ・リタ・ミツコのレコーディング風景を映画に取り込んだり、初期の作品では通俗的な犯罪小説を原作として用いたりしています。

簡単にいえば、ゴダールの映画はポップです。特に60年代の作品にはとてもポップだったと思います。

 

とはいえ、だけどやっぱりゴダールの映画は難しいんだよなあ、と言われれば、そりゃあ、そうなんだけどね、と私も答えないわけではありません。

しかしゴダール作品の難しさというのは、前衛美術の歴史に例えていうと「シュールレアリスムの難しさ」ではなく「ダダの難しさ」だと思います。

シュールレアリスムの難しさ」というのは、作品に何か意味があるらしいのだけれどその意味が何だかわからない、ということです。それに対して「ダダの難しさ」というのは「作品の意味がわかる」ってどういうこと? と訊かれると実はうまく答えられない、そういう難しさということです。何で既製品の便器を私の作品だと言って展覧会に出しちゃいけないの? みたいなことです(そういえば、ヌーベルバーグと同時代の芸術運動であるアメリカのポップアートは、ジャスパー・ジョーンズらによるネオ・ダダの運動に続くものでした)。

別にどっちがいいとか悪いとかいうことではないのですが、後者のほうがラディカルではあります。ラディカルというのは「根本的」であり「徹底的」であるということです。

そしてゴダールは、そういう意味でまさにラディカルな映画作家だったと思います。

 

Hungry Freaks ( Hungry_Freaks )のオリジナルアイテム・グッズ通販 ∞ SUZURI

Hungry Freaks|デザインTシャツ通販【Tシャツトリニティ】 (ttrinity.jp)

Hungry Freaks(@FreaksHungry)/ Twitter

ビリー・ホリデイ

kotobank.jp

 

ビリー・ホリデイの1930~40年代の歌声を聴いていると、この声をうまく言い表す言葉がないものか、とつい考えてしまうことがあります。曲によってはベッシー・スミスふうな歌い方をしていることもありますが、特にバラードとかゆったりめの曲を歌うときの声を的確に表現する言葉がなかなか見つかりません。

「艶がある」「ハスキー」「クール」「優しい」「哀しげ」「甘い」「渋い」…、いずれも合っていそうでいて、どうもぴったり来ない。「高度にコントロールされた猫なで声」なんていうのも考えてみましたが、やっぱり無理があります。

もちろん無理に言葉に言い表そうとしなくても、じっくり耳を傾け、浸りきればいいのですが…。

 


www.youtube.com

 

もどかしいのは、彼女の歌が「ジャズ」の範疇にぴったり収まっていないような感じがするところも同様です。

例えばサラ・ヴォーンとかエラ・フィッツジェラルドとかは、もちろん2人とも強烈な個性をもっていますが、それでも聴いていて、ノリとか雰囲気とかいったところで、これぞジャズ! とはっきり感じることができます。

しかしビリー・ホリデイの場合、これぞビリー・ホリデイ! とは思えても、これぞジャズ! というのは、ちょっと違うんじゃないかと感じてしまいます。

もっともこれは、私のジャズに対する偏ったイメージのせいかもしれません。

私にとってジャズは、やはり楽器が主体の音楽というイメージがあります。

先ほど名前を挙げたサラ・ヴォーンエラ・フィッツジェラルドは、もちろん歌詞や歌心といったものを大事にしていないはずはないのですが、それでも声を楽器のように使うところがあって(特にエラ・フィッツジェラルドはそうですが)、そういう歌い方がジャズのフィーリングを醸し出していると私には感じられます。

しかしビリー・ホリデイは、ひたすら「歌」であることにこだわっているような歌い方をしています。そのために「いかにもジャズ」にはならずにいる、ということだと思います。あくまで私の主観なのですが。

そのことも含めて考えるなら、彼女の歌声はつまり「唯一無二」なのだ、と言うことができるでしょう。これが私に唯一思いつく、彼女の歌声を表す言葉です。

 


www.youtube.com

 

範疇に収まっていないといえば見た目的にも、白黒の古い写真や映像で見る限りは、アフリカ系というよりハワイや南太平洋の先住民ふうに見えます(髪に花を挿しているせいもあるかもしれませんが)。

若い時には白人と間違えられることもあったそうで、カウント・ベイシー楽団とのツアーの際には、黒人のバンドで白人が歌ってるなんて怪しからんと怒り出す観客がいたというエピソードがあります。その一方で、白人のアーティ・ショウ率いる楽団といっしょに歌った際には、白人のバンドで黒人が歌うなんて、と怒る観客がいたという話もあるのですが。

 

ビリー・ホリデイと人種差別といえば、彼女の代表曲「奇妙な果実」に触れないわけにはいきません。

南部の木々には奇妙な果実が生っている。根っこも葉っぱも血に濡れて、黒い体が南風に揺れている…。

ビリー・ホリデイ自身が作詞したわけではありませんが、1939年以降、ライブではいつもこの曲を歌っていたといわれています。

公民権運動に先立つこと20年近く、白人の知識人が黒人差別を批判することは珍しくなかったでしょうが、黒人自身が、しかも女性で大衆音楽の歌い手が、人種差別を告発するプロテスト・ソングを歌うなんて、いかに衝撃的な「事件」だったことか。

当然のことながら、これを不愉快に感じていた白人が多かったのですが、その中に連邦麻薬局の局長に就任したばかりのハリー・アンスリンガーという人物がいました。

禁酒法が廃止されたばかりの時代、マリファナを含めて多くの麻薬がまだ合法であり、違法だったコカインやヘロインもそれほど大きなトラブルを起こしていたわけではなかったのですが、アンスリンガーは麻薬撲滅の大キャンペーンを張り、黒人やメキシコ移民が白人の若者に麻薬の害悪をまき散らそうとしている、と訴えかけました。

そして格好の槍玉として目をつけられたのが、彼にとって「身の程知らずの黒人女」であるビリー・ホリデイだったのです…。

この話はヨハン・ハリというジャーナリストが書いた『麻薬と人間 100年の物語』という本に載っていて、映画にもなっています(「ザ・ユナイテッド・ステイツvsビリー・ホリデイ」)。ですから最後までは書きませんが、興味のある方は本を読むか、映画を観るかしてみてください。

 


www.youtube.com

 

晩年のビリー・ホリデイの歌声は、しゃがれていて、音域が狭くなり、しかし凄みがある、と言葉で言い表しやすくはなっていますが、それでも「唯一無二」であることに変わりはありません。

ただし晩年といっても彼女は40代前半で亡くなっているわけで、その年齢でこんな声になってしまったというのは、いったいどんな人生だったんだ、という話になります。

 

ビリー・ホリデイの人生は、人種差別や麻薬だけでなく、貧困、虐待、レイプ、売春、ヒモからのDV、度重なる逮捕・服役…と不幸に次ぐ不幸で、私生活での男性関係もろくなものではありませんでした。

しかし音楽活動においては、当時の最高レベルのミュージシャンたちと共演ができています。

ルイ・アームストロングレスター・ヤングベニー・グッドマンカウント・ベイシー、アーティ・ショウ、デューク・エリントン…。

またマイルス・デイヴィスと同じライブ・ハウスに出ていたそうですから、おそらく共演の機会もあったことでしょう。そして晩年の彼女の横でピアノを弾いていたのがマル・ウォルドロンでした(実をいうと、私が初めてジャズの生演奏を聴いたのがこの人のソロ・コンサートでして、個人的に思い入れのあるピアニストです)。

そんな素晴らしいミュージシャンたちの演奏をバックにビリー・ホリデイが「唯一無二」の声で歌っているのを、今でも私たちは聴くことができる。ほんとうにありがたいことだと思います。

 


www.youtube.com

 

 

Hungry Freaksではビリー・ホリデイを題材にしたデザインも扱っております。

ぜひぜひお立ち寄りくださいませ。

 

Hungry Freaks ( Hungry_Freaks )のオリジナルアイテム・グッズ通販 ∞ SUZURI

Hungry Freaks|デザインTシャツ通販【Tシャツトリニティ】 (ttrinity.jp)

Hungry Freaks(@FreaksHungry)/ Twitter

SUZURI店オープン!

このたび、Hungry FreaksをSUZURIにも出店することになりました。

suzuri.jp

 

SUZURIでは、Tシャツやパーカーなどの衣類のほかに、マグカップやクッションなどの日用品や小物類も取り扱っています。

とりあえずは過去に制作したデザインをSUZURIでも商品化するということが続きますが、新作ができましたら、随時ブログやTwitterでもお伝えしたいと思います。

Tシャツトリニティ店ともども、よろしくお願いいたします!

 

追記:

Hungry FreaksはSUZURIとTシャツトリニティ以外では商品を販売しておりません。

もしもこの2つ以外のサイトでHungry Freaksの商品が売られているのを見かけたら、それはフィッシング詐欺サイトです! くれぐれもご注意ください。

 

Hungry Freaks ( Hungry_Freaks )のオリジナルアイテム・グッズ通販 ∞ SUZURI

Hungry Freaks|デザインTシャツ通販【Tシャツトリニティ】 (ttrinity.jp)

Hungry Freaks(@FreaksHungry)/ Twitter

リバーシ

今回のデザインはボードゲームの定番、リバーシです。

日本では別の名前のほうがよく知られていますが、あちらは商標登録されておりますので、商品名として使うことができません。

 

もっともそのおかげで結果的に「リバーシ」という名称も広まってきているといえます。同じゲームを「リバーシ」という名前でなら、誰に許可をとらなくても製造・販売できるからです。

……っていうことは、リバーシとあちらのゲームは全く同じものなのか?

という疑問が首をもたげるわけですが、ウィキペディアによりますと、リバーシのほうは、19世紀末にイギリスで開発され、20世紀に入ってすぐくらいに多少ルールが改正され、現在に至っているようです。

一方、あちらのゲームは1970年代にボードゲーム研究家の長谷川五郎さんという方が開発して、1973年に発売されたとのことですが、この長谷川さんという方があちらのゲームの開発にあたってリバーシを参考したのかどうかについては、ウィキペディアの記述を読む限り、どうもはっきりしません。

ルールはリバーシのほうが、「石」の色が黒と白だけでなく黒と赤、あるいは赤と白でもいいとか、ゲーム開始時の石の配置が複数種類あるらしかったりとかするようですが、結局はあまり変わらないようです。

おそらく、あちらのゲームの名称は特定のメーカー(発売当初はツクダ、現在はメガハウス)が製造・販売しているパッケージを指す、と理解すればいいのだと思います。

数独ナンバープレイスの関係もそうですが、商標とか知財関係の話はどうもまどろっこしくていけません。楽しめれば何だっていいんじゃないの? と思ってしまいます。

 

ともかくそんなわけで、今回のデザインの名称はあくまで「リバーシ」です。

ボードゲーム好きの方におすすめです!

 

デザインTシャツ通販【Tシャツトリニティ】 (ttrinity.jp)

Hungry Freaks|デザインTシャツ通販【Tシャツトリニティ】 (ttrinity.jp)

Hungry Freaks(@FreaksHungry)/ Twitter

ボニーとクライドを題材にした3本の映画

クライド・バロウ(左)とボニー・パーカー(Wikipediaより)

「アンチ・ヒーロー」といえば、犯罪者であるにもかかわらず大衆の人気を集めている人物のことですが、ジェシー・ジェームズ、ビリー・ザ・キッドジョン・デリンジャーなど、アメリカには実在のアンチ・ヒーローがたくさんいます(日本にも石川五右衛門とか国定忠治とかいますが)。

そんな中でも特に人気が高いのが、ボニーとクライドの2人ではないかと思います。

やはり男女のカップルということでロマンチックな想像をかきたてられますし、世界恐慌の息苦しい世の中に銀行強盗を繰り返して義賊的なイメージもあるようです。

当然、2人を題材にした映画はたくさん作られています。中にはエドガー・フーヴァーによる犯罪撲滅キャンペーン映画もあったり、最近では2人を執拗に追いかけるテキサス・レンジャーのほうに焦点を当てて描いた作品がNetflixで公開されたりしていますが、今回はそんな中でも特に人気の高い3本の映画について書いてみたいと思います。

 

暗黒街の弾痕(1937年 原題;You Only Live Once)

ボニーとクライドが死んでからまだ3年しか経っていないタイミングで作られたのが、この「暗黒街の弾痕」です。

監督はフリッツ・ラング。サイレント時代からトーキーの草創期のかけて「メトロポリス」「怪人マブセ博士」「M」など、ドイツ表現主義映画の名作をいくつも作ってきた監督です。彼はユダヤ人で、表現主義芸術好きのナチス宣伝相ゲッペルス(「「ワシリー・カンディンスキー」参照)に、ユダヤ人だということは見逃してやるからナチスプロパガンダ映画を作ってくれないか、と口説かれたもののアメリカに亡命、「死刑執行人もまた死す」のような反ナチ映画の名作をはじめ、犯罪映画(いわゆる「フィルム・ノワール」)の傑作をハリウッドでたくさん作りました。「暗黒街の弾痕」は彼の亡命後2作目となった作品です。

この映画はボニーとクライドの話を最初に映画化したものといわれていますが、ストーリーは実際の2人の話とあまり似ていません。

そもそも名前が違っています。シルヴィア・シドニー演じる女の名前はジョーン、ヘンリー・フォンダ演じる男の名前はエディー。もっともジョーンの姉の名前がボニーなのですが、ジョーンの行く末を心配するやさしいお姉さんです。

エディーは子供のころから犯罪を繰り返していましたが、最後の事件で逮捕される直前にジョーンと出会います。ジョーンは犯罪とは縁のないまじめな女性でしたが、2人は相思相愛の仲となり、エディーが刑務所に入った後もジョーンは弁護士の秘書をしながら恋人の出所を待ちます。そして4年後(映画はここから始まります)、エディーが出所するとすぐに2人は結婚。エディーは更生を誓ってまじめに生きようとするのですが、前科者というレッテルのせいでささいなことから新しい勤め先をすぐに解雇され、さらには強盗殺人の冤罪によりまた逮捕されて、死刑の宣告を受けます。エディーは脱獄を決意し、ジョーンに銃を届けてほしいと頼みます…。

ここまでの話はボニーとクライドにほとんど関係ないといっていいのですが、脱獄後のエディーとジョーンの逃避行がようやくボニーとクライドの事件を想起させます。しかしエディーとジョーンの物語は悲劇の運命にもてあそばれる神話的な恋人たちのそれであって、ボニーとクライドの残虐とも痛快ともいえる話とはだいぶ異なります。

また、この映画は前科者に対する社会の偏見が彼らの更生を阻んでしまうという問題をテーマにしていますが、こういうテーマもボニーとクライドに関係があるようには思われません。フリッツ・ラングはこの映画の翌年に「真人間」という、同じテーマの映画を撮っています(こちらはコメディーふうで、結末もハッピーエンドです)。が、ドイツ時代の「M」におけるリンチ批判と同様、フリッツ・ラングにとって関心のあるテーマだったのでしょう。

「暗黒街の弾痕」は、テーマの重さを措くとしても、映画としての魅力に満ちた、美しい映画です。表現主義を経てきた監督らしい陰影の美しさ(後にフィルム・ノワールというジャンルの特徴ともなります)もすばらしいのですが、車の疾走に伴う悲壮感の高まりが、空き家の中での出産とジョーンの一時的な帰宅(これは実際のボニーのエピソードを反映しています)というインターバルを経て、森の中での2人の死によってピークに達するところがやはり圧巻です。もっともエディーが最後に天の声(?)を聞くのは、今の感覚からすると余計かなと思えますが、神話的なイメージの表出としてとらえることもできます。

そして魅力といえば、やはりジョーンを演じたシルヴィア・シドニーが魅力的です。この映画の前後にフリッツ・ラングが撮った「激怒」「真人間」に出ているほか、スタンバーグの「アメリカの悲劇」やヒッチコックの「サボタージュ」など、多くの巨匠の作品に起用されています。そして、遺作がティム・バートンの「マーズ・アタック!」。そう、いつも古臭いカントリーの曲を聴いていて、最後には宇宙人の侵略を防ぐのに貢献する、あのおばあちゃんを演じていたのが彼女です。

彼女が演じるジョーンは、何もかも捨ててエディーとの逃避行を選びます。まるで彼女にとってエディーは、フィルム・ノワールの典型的モチーフである「ファム・ファタール(運命の女)」ならぬ「オム・ファタール(運命の男)」だったかのようです。このジョーンの役は、かわいらしい顔立ちながら気の強さもあり、それでいてちょっと悲し気でもあるシルヴィア・シドニーのイメージにうまくはまっています。

そしてこんなふうに女性の役が際立つところが、ボニーとクライドという題材の特異性なのかもしれません。

 

拳銃魔(1950年 原題:Gun Crazy)

今回取り上げた3本の映画の中では、作品、監督(ジョセフ・H・ルイス)、俳優(ペギー・カミンズ、ジョン・ドール)、いずれの知名度もいちばん低いのですが、私は好みでいえばこの映画がいちばん好きです。私だけでなく、B級ノワールファンの間ではカルト的な人気を集めている作品です。また、この後取り上げる「俺たちに明日はない」と同様、アメリカ国立フィルム登録簿に登録されてもいます。

脚本は、クレジット上では「我等の生涯の最良の年」の原作者であり、この作品の原作者でもあるマッキンレー・カンターと「日本人の勲章」の脚本家であるミラード・カウフマンが名を連ねていますが、実際に書いたのはダルトン・トランボです。彼は赤狩りの際に議会侮辱罪で収監されましたが、その収監直前に書いた作品の一つがこれだったようです。

この映画もまた、実際のボニーとクライドの話とはかなり違っていますが、「暗黒街の弾痕」ほどではありません。こちらでは、女のほうも(というより、女のほうが、なのですが)積極的に犯罪を犯しています。

そして名前はやはりボニーとクライドではなく、女がローリー、男がバートです。バートの幼馴染の一人がクライドという名前ですが、成人してから保安官になって、バートに自首を促します。

先ほど少し触れたように、この映画では女のほうが犯罪に積極的で、人も殺します。それに対して男のほうは子供のころから銃に取りつかれていて、思い余って金物屋のショーウィンドーから拳銃を盗もうとして少年院に送られるのですが(字幕には「金物屋」と出ているのですが、昔のアメリカでは金物屋で拳銃を売っていたのでしょうか?)、幼少時におもちゃの空気銃で小鳥を死なせて大泣きして以来、人間はもちろん動物も決して撃とうとしません。

そんな彼が友人たちと訪れたドサ回り一座の興行で、拳銃使いのアニー・ローリー・スター(アニーはおそらく「アニーよ銃をとれ」のアニーからついた芸名だと思います。この時代、アメリカ国内にどれくらいのアニーがいたことでしょう)と出会います。そしてバートもこの一座に加わりますが、すぐにローリーといっしょに辞めて2人は結婚。しかしローリーの浪費壁のためにすぐに所持金が底をつき、バートは仕事探しを始めますが、ちょっとやそっとの稼ぎでは生きていけないとローリーが主張し、2人は拳銃を使ってホールドアップ強盗を始めます。最初は小さな商店をターゲットにしていましたが、やがて銀行も狙うようになる…。

この映画でいちばん有名なのは、何といっても自動車の車内にカメラを入れて撮影した長回しのシーンです。この当時の映画では車の運転シーンというと、スタジオ内に置かれた自動車のセットに俳優が乗り、背後に流れる風景を映して一緒に撮る「スクリーン・プロセス」という技法が普通は使われます。もちろんこの映画でもスクリーン・プロセスを使っているシーンはあるのですが、バートが銀行に入って強盗をし、ローリーが外で待機して、バートが戻るとすぐに車を出して立ち去るまでを1カットで撮っているシーンでは、車を銀行の前に乗りつけるところからタイヤが砂を踏む音やシートのきしむ音が入っていて、光の調子も全く異なります。この作品より前にカメラを車に積んで撮影したケースがあったのかどうか私は知りませんが、このシーンはそういう技術的な話を超えて、とても素晴らしいです。銀行の前を去った後に聞こえる2人の荒い息遣いは演技とも本物ともつかず、追手の様子を確かめようと振り返るローリーの顔にはギラギラした恍惚感が表れていて、見ているこちらもゾクゾクさせられます。

その後、綿密な計画を立てて実行した食品加工会社での強盗では、逃走の際にローリーが人を殺してしまいます。バートがそのことでローリーを責めると、ドサ回りの一座にいたときにも1人殺して座長に脅されていたのだとローリーは打ち明けますが、目的のための冷静な判断として殺すのではなく、恐怖による思考停止のために殺してしまうのだと彼女は言います。ローリーもまた殺人を好んでいないという設定は、反戦主義者だったトランボのアイデアかもしれません。

この映画でも最後に2人は、逃避行の果てに森の中へと入っていきます。そして霧の中での幻想的なラストシーン、衝撃の結末。低予算のB級映画なのですが、見終わった後、贅沢な時間を味わったような、いい気持ちにさせられます。

そしてこの映画もやはり、ローリーを演じたペギー・カミンズが魅力的です。アイルランド出身で、イギリスが主な活躍の場だったようなのですが、登場シーンでの拳銃パフォーマンスといい、全速力で走る姿といい、顔よりも動きの美しさに見とれます。

この映画を論じる人の中には、ローリーをファム・ファタールの典型のように言う人がいますが、典型的なファム・ファタールは自分ではあまり動かずに、男を誑して犯罪を犯させます。しかしローリーはあくまでもバートと一心同体で、彼をだまそうとは決して考えていません。

実際のボニー・パーカーがどういう人物だったか詳しくはわかりませんが、ローリーのようなキャラクターを生み出す元になるものがあったのは確かかと思います。

 

俺たちに明日はない(1967年 原題:Bony and Clyde)

一般的には、映画でボニーとクライドといえば、この作品がまず挙げられます。興行的にもメディアの評価の点でも大成功を収めた作品であることはもちろんですが、タイトルからしてボニー&クライドですし、内容も史実にある程度沿っています(忠実とまではいきませんが)。

しかし監督のアーサー・ペンはこの映画をドキュメンタリーふうに撮ってはいませんし、アクションたっぷりの犯罪映画にする気もなかったようです(銃撃戦のシーンや有名なラストの銃殺シーンはとても迫力がありますが)。

私の印象では、この映画はやはり青春映画なのだと思います。

この映画はいわゆる「アメリカン・ニュー・シネマ」の劈頭を飾る作品として知られています。そしてアメリカン・ニュー・シネマとは、乱暴な言い方をすれば、どんなジャンルの映画も青春映画にしてしまう運動だったように思えます。

青春映画といっても、イコール年齢的な意味での若者を主人公にした映画というわけではありません。ポール・マザースキーの映画「ハリーとトント」の主人公であるおじいさんも、街をさまよい、人と出会うということでは若者と同じです。

「青春」というのは、ボニーとクライドやブッチとサンダンスのような名のある悪党であっても、私たちと同じような普通の人間だったのであり、いつでも不完全で成熟しきれないところがあって、いろいろなことで悩み、喜び、悲しみ、怒りながら生きていたのだということです。

そして青春映画としてのアメリカン・ニュー・シネマとは、そういう普通の人間たちを「等身大」に描こうという運動だったのではないかと思います。アメリカン・ニュー・シネマに先立って、ヌーベルバーグのように世界のあちこちで若い世代の映画作家たちが先行世代の紋切り型に反抗し、新たなリアリティの表現を追い求めましたが、アメリカン・ニュー・シネマの作家たちにとっては「等身大」というのが追求するべき新たなリアリティだったのではないかと思います。そしてそのことがアメリカン・ニュー・シネマに属する一連の映画の「良さ」でもあり「つまらなさ」でもあったと私は感じています。

俺たちに明日はない」はあまりにも有名な作品なので細かい解説はしませんが、この作品もまたアメリカン・ニュー・シネマ特有の「良さ」と「つまらなさ」を兼ね備えています。その点でやはり、この映画はアメリカン・ニュー・シネマの原点であるとともに代表作でもあるのだと思います。

そして、この映画もまたボニーを演じるフェイ・ダナウェイが魅力的です。冒頭の裸のシーンは正直なところあまりいいとは思わないのですが、短いスカートで生足を見せながら機関銃を打ちまくる姿はとてもセクシーです。もっとちゃんと映してくれればいいのにとも思います。

フェイ・ダナウェイはデビューして間もないうちにこの映画の成功で大物になりすぎてしまい、大作映画や巨匠の晩年の作品のオファーばかり受けてしまって、結局は作品に恵まれなかったような気がします。好きな俳優さんだけに残念です。

 

銃、車、男女の逃避行、2人を追いかける警察、騒ぎ立てる新聞、家族や親しい人とのつかの間の再会の後の悲劇的な結末。

これらが上記3作に共通して登場するモチーフなのですが、ストーリーの違いによって、それぞれのモチーフの持つ意味が全く異なっています。同じ題材でそういう違いが出るところも、映画の面白さだなあと思います。

 

――

 

俺たちに明日はない」の中で、ボニー・パーカーが作ったといわれる「ボニーとクライドの物語」という詩が朗読されますが、この詩をもとに作られたのが、セルジュ・ゲンズブールブリジット・バルドーのデュエット曲「ボニーとクライド」です。

今回はこの曲でお別れです。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。


www.youtube.com

拳銃魔 [DVD]

拳銃魔 [DVD]

  • ペギー・カミングス
Amazon

 

 

Hungry Freaksでは、映画を題材にしたデザインを多数取り揃えています。

ぜひぜひ、お立ち寄りくださいませ。

デザインTシャツ通販【Tシャツトリニティ】 (ttrinity.jp)

Hungry Freaks|デザインTシャツ通販【Tシャツトリニティ】 (ttrinity.jp)

Hungry Freaks(@FreaksHungry)/ Twitter