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ビリー・ホリデイ

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ビリー・ホリデイの1930~40年代の歌声を聴いていると、この声をうまく言い表す言葉がないものか、とつい考えてしまうことがあります。曲によってはベッシー・スミスふうな歌い方をしていることもありますが、特にバラードとかゆったりめの曲を歌うときの声を的確に表現する言葉がなかなか見つかりません。

「艶がある」「ハスキー」「クール」「優しい」「哀しげ」「甘い」「渋い」…、いずれも合っていそうでいて、どうもぴったり来ない。「高度にコントロールされた猫なで声」なんていうのも考えてみましたが、やっぱり無理があります。

もちろん無理に言葉に言い表そうとしなくても、じっくり耳を傾け、浸りきればいいのですが…。

 


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もどかしいのは、彼女の歌が「ジャズ」の範疇にぴったり収まっていないような感じがするところも同様です。

例えばサラ・ヴォーンとかエラ・フィッツジェラルドとかは、もちろん2人とも強烈な個性をもっていますが、それでも聴いていて、ノリとか雰囲気とかいったところで、これぞジャズ! とはっきり感じることができます。

しかしビリー・ホリデイの場合、これぞビリー・ホリデイ! とは思えても、これぞジャズ! というのは、ちょっと違うんじゃないかと感じてしまいます。

もっともこれは、私のジャズに対する偏ったイメージのせいかもしれません。

私にとってジャズは、やはり楽器が主体の音楽というイメージがあります。

先ほど名前を挙げたサラ・ヴォーンエラ・フィッツジェラルドは、もちろん歌詞や歌心といったものを大事にしていないはずはないのですが、それでも声を楽器のように使うところがあって(特にエラ・フィッツジェラルドはそうですが)、そういう歌い方がジャズのフィーリングを醸し出していると私には感じられます。

しかしビリー・ホリデイは、ひたすら「歌」であることにこだわっているような歌い方をしています。そのために「いかにもジャズ」にはならずにいる、ということだと思います。あくまで私の主観なのですが。

そのことも含めて考えるなら、彼女の歌声はつまり「唯一無二」なのだ、と言うことができるでしょう。これが私に唯一思いつく、彼女の歌声を表す言葉です。

 


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範疇に収まっていないといえば見た目的にも、白黒の古い写真や映像で見る限りは、アフリカ系というよりハワイや南太平洋の先住民ふうに見えます(髪に花を挿しているせいもあるかもしれませんが)。

若い時には白人と間違えられることもあったそうで、カウント・ベイシー楽団とのツアーの際には、黒人のバンドで白人が歌ってるなんて怪しからんと怒り出す観客がいたというエピソードがあります。その一方で、白人のアーティ・ショウ率いる楽団といっしょに歌った際には、白人のバンドで黒人が歌うなんて、と怒る観客がいたという話もあるのですが。

 

ビリー・ホリデイと人種差別といえば、彼女の代表曲「奇妙な果実」に触れないわけにはいきません。

南部の木々には奇妙な果実が生っている。根っこも葉っぱも血に濡れて、黒い体が南風に揺れている…。

ビリー・ホリデイ自身が作詞したわけではありませんが、1939年以降、ライブではいつもこの曲を歌っていたといわれています。

公民権運動に先立つこと20年近く、白人の知識人が黒人差別を批判することは珍しくなかったでしょうが、黒人自身が、しかも女性で大衆音楽の歌い手が、人種差別を告発するプロテスト・ソングを歌うなんて、いかに衝撃的な「事件」だったことか。

当然のことながら、これを不愉快に感じていた白人が多かったのですが、その中に連邦麻薬局の局長に就任したばかりのハリー・アンスリンガーという人物がいました。

禁酒法が廃止されたばかりの時代、マリファナを含めて多くの麻薬がまだ合法であり、違法だったコカインやヘロインもそれほど大きなトラブルを起こしていたわけではなかったのですが、アンスリンガーは麻薬撲滅の大キャンペーンを張り、黒人やメキシコ移民が白人の若者に麻薬の害悪をまき散らそうとしている、と訴えかけました。

そして格好の槍玉として目をつけられたのが、彼にとって「身の程知らずの黒人女」であるビリー・ホリデイだったのです…。

この話はヨハン・ハリというジャーナリストが書いた『麻薬と人間 100年の物語』という本に載っていて、映画にもなっています(「ザ・ユナイテッド・ステイツvsビリー・ホリデイ」)。ですから最後までは書きませんが、興味のある方は本を読むか、映画を観るかしてみてください。

 


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晩年のビリー・ホリデイの歌声は、しゃがれていて、音域が狭くなり、しかし凄みがある、と言葉で言い表しやすくはなっていますが、それでも「唯一無二」であることに変わりはありません。

ただし晩年といっても彼女は40代前半で亡くなっているわけで、その年齢でこんな声になってしまったというのは、いったいどんな人生だったんだ、という話になります。

 

ビリー・ホリデイの人生は、人種差別や麻薬だけでなく、貧困、虐待、レイプ、売春、ヒモからのDV、度重なる逮捕・服役…と不幸に次ぐ不幸で、私生活での男性関係もろくなものではありませんでした。

しかし音楽活動においては、当時の最高レベルのミュージシャンたちと共演ができています。

ルイ・アームストロングレスター・ヤングベニー・グッドマンカウント・ベイシー、アーティ・ショウ、デューク・エリントン…。

またマイルス・デイヴィスと同じライブ・ハウスに出ていたそうですから、おそらく共演の機会もあったことでしょう。そして晩年の彼女の横でピアノを弾いていたのがマル・ウォルドロンでした(実をいうと、私が初めてジャズの生演奏を聴いたのがこの人のソロ・コンサートでして、個人的に思い入れのあるピアニストです)。

そんな素晴らしいミュージシャンたちの演奏をバックにビリー・ホリデイが「唯一無二」の声で歌っているのを、今でも私たちは聴くことができる。ほんとうにありがたいことだと思います。

 


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