Hungry Freaks

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芸術における「叫び」

「ひとつの恐怖の時代を生きたフランスの哲学者の回想によれば、人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫びが自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑うということだ。

 戦争も、洪水も、ペストも大地震も大火も、人間をみまっていない時、そのような安堵の時にも、確たる理由なく恐怖を感じながら生きる人間が、この地上のところどころにいる。かれらは沈黙して孤立しているが、やはり恐怖の時代においてとおなじく、ひとつの叫び声をきくとその叫びを自分の声だったかと疑う。そしてそのような叫び声は恐怖に敏感なものの耳にはほとんどつねに聞えつづけているのである。かなり以前のことだが、僕もまたその叫び声を聞く者のひとりだった。僕は二十歳で、同じ年頃の二人の仲間といっしょに、若いアメリカ人の家に同居して暮していた。それは僕の《黄金の青春の時》だった」

 

これは大江健三郎が1962年に発表した小説「叫び声」の冒頭です。引用(サルトルらしいです)を現代の状況へと敷衍してから物語の内へさらりと読者を導き入れていく…、私ごときが言うのも僭越ですが、さすが大江健三郎だと思います。

叫びは見た目的には能動的な行為のようですが、実際には恐怖に対して反射的にほとばしるのですから、むしろ受動的なものといえます。

「叫び声」の主要登場人物である「僕」とその「仲間」たちは、初期の大江健三郎が繰り返し描いた「性的人間」です。大江健三郎の文章「われらの性の世界」によれば、「性的人間」とは「かれにとって本来、他者は存在しない」し「かれ自身、他のいかなる存在にとっても他者でありえない」者たちであって、常に他者と鋭く対立する「政治的人間」と対照されています。

「性的人間」たちは時代の状況に対して受動的であらざるをえません。だから同じ状況にある誰かの叫び声が、常に自分自身の叫び声でもある、ということかと思います。

「叫び声」の登場人物たちが置かれている状況は「同じ年頃の二人の仲間といっしょに、若いアメリカ人の家に同居して暮していた」という設定で象徴されています。つまりこの小説の発表から60年経った今も、私たち日本人は同じ状況を生きているのだ、ということになります。

 

美術における「叫び」

美術において「叫び」といえば、ムンクの絵があまりにも有名です。有名すぎてさんざんパロディーにされ、なかなか純粋な目で鑑賞することが難しかったりします。しかし目を凝らしてじっと見ていると、まずは中央の人物が自ら叫んでいるのか、他人の叫びに耳を閉ざそうとしているのかが曖昧なのがわかります。

この場合の他人とは誰か? 歪んだ荒々しい線で描かれた背景を見ていると、具体的な誰かが叫んでいるというより、風景そのものが、世界そのものが叫んでいるかにも見えます。中央の人物はその風景に溶け込み、叫びに溶け込んでいるようでもあります。

ところが橋の奥のほうにいる二人に目を移すと、この人物たちはどうも叫びと無関係に見えます(おそらく、二人であるということが重要だと思います)。シルエットではありますが、紳士風の出で立ちか、あるいは制服を着た警官にも見えます。この二人を中央の人物と対比させると、さっきは風景に溶け込んでいた中央の人物が今度は周囲の世界から疎外され、孤独であるがゆえに叫んでいるようにも見えてきます…。

以上は私の勝手な感想ですが、明確な意味づけや焦点化を拒むような不明瞭さが不安感を喚起する、というのがこの絵のポイントかと思います。

 

ムンク「叫び」ほどではありませんが、イギリスの画家フランシス・ベーコンの「ベラスケスの教皇インノケンティウス10世の肖像画による習作」も、叫びを描いた有名な作品です(画像はこちら)。

この絵はタイトルにあるベラスケスの作品「教皇インノケンティウス10世の肖像画」の顔だけを、エイゼンシュタインの映画「戦艦ポチョムキン」に出てくる乳母の叫ぶ顔に差し替えています。描き方はベラスケスのように明快ではなく、不気味な雰囲気が画面を覆っていて、上下に走る線が落下しているようにも、昔のブラウン管テレビが消えるときのようにも見えて、今すぐにでも教皇の姿が消失しそうな印象があります。電気椅子に掛けられた死刑囚にも見えます。

作者はこの絵について、表現したかったのは恐怖や不安といった感情ではなく、叫びそのものだったのだと言っているようです。だいぶ前にフランスの哲学者ジル・ドゥルーズがベーコンについて書いているのを読んだことがありますが、この絵の叫ぶ口は機能性をもたない穴であるみたいなこと(「器官なき身体」ってやつですね)が書いてあったような覚えがあります。

ベーコンの絵は一見表現主義的ですが、感情とか内面性とか人間性とかとは無縁なところで人間を描こうとしていたように思われます。そして、つい人間主義的に絵を見てしまう者にはそれがかえって残酷さや恐怖感として感じられるのかもしれません。

 

音楽における「叫び」

音楽で「叫び」となると、クラシックでは、20世紀の作曲家アルバン・ベルクのオペラ「ルル」で最後に主人公のルルが上げる叫び声が印象的です。

あの声の音程は楽譜で指示されているのか、他にも叫び声が入るオペラがあるのか、私は詳しくないのでよくわかりませんが、ヴェデキントの戯曲を元にした退嬰的なストーリーと不気味に揺蕩うような音楽が叫び声で締めくくられるのを最初に聴いたときは、ぞくっとしました。

 

黒人音楽やロックでは、叫ぶような歌い方、つまりシャウトが技巧としてあります。

個人的にはやはり、ジェームズ・ブラウンジャニス・ジョプリンあたりのシャウトがびりびり来ます(趣味が古くてすみません)。日本だと、フラワー・トラベリング・バンド時代のジョー山中がうまかったと思います(やっぱり古い)。あとはカルメン・マキとか(やっぱり…)。

 

ロックでは、技巧としてのシャウトにとどまらない「叫び」もあると思います。

例えば、ドアーズの "The End" で、「お父さん。何だい。僕はあんたを殺したいんだ。お母さん、僕はあんたを…」と言った後に、Hold onと言ってるのか、何と言っているのかよくわからない、あの叫びなんかは印象的です。

あとはオノ・ヨーコの "Don't Worry Kyoko" で、Don't Worry~と繰り返し叫ぶのも強烈です。

 

映画における「叫び」

映画には、叫ぶシーンを含むものがたくさんあり、挙げていくとキリがありません。

YouTubeで、アメリカ映画の「絶叫」シーン(観客が叫ぶのではなく、登場人物が叫ぶシーン)を50本集めた動画を見つけました。

「サイコ」や「シャイニング」のような古典中の古典はもちろん、「ホーム・アローン」のようなコメディーや「キル・ビルVol.2」のようなアクション映画の「絶叫」シーンも含まれています。怖い場面とかが苦手でなければご覧ください。


www.youtube.com

私が個人的に好きなのは「蠅男の恐怖」のHelp me~!と叫ぶシーンと「SF/ボディ・スナッチャー」の指差し絶叫シーンです。しかし上の動画を見て思ったのですが、「SF/ボディ・スナッチャー」のこの有名なシーンは、戦前のホラー映画「オペラの怪人」が元ネタなんでしょうか? 何か…よく似てます。

クワイエット・プレイス」の母親が叫ぶシーンが出てきましたが、この映画では父親が叫ぶところのほうが印象的です。いかにもアメリカ人が好きそうなシーンです。

 

日本映画で印象的な「絶叫」シーンとなりますと、三隈研次の「新撰組始末記」で藤村志保市川雷蔵に抱きついて叫ぶシーンと、黒沢清監督作「クリーピー 偽りの隣人」の最後で竹内結子が泣き叫ぶシーンが頭に浮かんできます。

どちらとも、恐怖のさ中に叫ぶのではなく、恐怖から解放された後に叫んでいます。確かに怖い思いをしている間は、叫び声すら出ないくらい体がこわばっているのが普通かと思います。そして、その緊張から解き放たれたとき(それでも、喜びというよりは何か暗い感情が心を占めているとき)、押しとどめられていた叫びがわっと出るというのはリアリティがあると思います。

アメリカ、日本以外の国ですと、上記の「戦艦ポチョムキン」もいいですし、先日亡くなったピーター・ブルックの「雨のしのび逢い」で最後に響き渡るジャンヌ・モローの叫び声もインパクトがあります。

 

そして、何といってもイエジー・スコリモフスキの「ザ・シャウト/さまよえる幻響」です。すさまじい叫び声で人をも殺せるという(「オバケのQ太郎」にでてくるО次郎の「ボム!」みたいなものです。また古い…)謎の男が主人公で、ジャンルでいえば超能力スリラーにあたります。

この映画が製作されたのは1978年で、ユリ・ゲラーブームもあり、デ・パルマの「キャリー」などの超能力映画が多く作られた時期です。しかし最近でも「エッセンシャル・キリング」や「イレブン・ミニッツ」など、戦争映画とかサスペンスとか、何らかのジャンルに当てはまりそうでいてどこかはみ出したところのある映画を撮り続けているスコリモフスキ監督ですから、この映画もやはりその他の超能力ものとは一線を画した、不思議な映画です。

特に印象に残るのは、砂丘らしき場所で、髭面の主人公(演じるアラン・ベイツのふてぶてしくいかがわしい雰囲気が最高です)が鼻の穴をおっぴろげ、大口を開けて叫びを発した途端、近くにいた山羊だか羊だかの群れがバタバタッと倒れていくシーンです。名シーンといっていいのかはわかりませんが、少なくとも強烈なインパクトと残す(それでいながら笑えたりもする)シーンです。

この映画には、上記のベーコンの「ベラスケスの教皇インノケンティウス10世の肖像画による習作」が出てきます(別バージョンなのか、拡大しているのか、バストアップになっています)。スコリモフスキは、ベーコンのコンセプトを意識していたのか、確かにこの映画も、恐怖や不安から来る叫びではなく、叫びそのものを描いた映画です。しかしそれだけでなく、叫びが恐怖をもたらしているともいえます。

 

―――

 

恐怖→叫び→恐怖と、結局一周回ってきたわけですが、何かにつけ「静かにしろ!」「黙れ!」とどやされる今の世の中で、この円周を打ち破るためにも、あえて叫びを、それも他人のではない、私自身の叫びを叫んでみたほうがいいのかもしれません。

なんて言いながら、結局はいつも小声で愚痴ってばかりの私なのですが…。

 

 

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ルドゥーテの『バラ図譜』

『バラ図譜』扉絵

「バラの画家」「花の画家」とも呼ばれる植物画かピエール・ジョゼフ・ルドゥーテはベルギー(南ネーデルランド)生まれですが、フランスで活躍しました。

彼が生まれたのは1759年、亡くなったのは1840年です。つまりブルボン王朝の末期からフランス革命、ナポレオン帝政、七月革命と、フランスの激動の時代をルドゥーテは間近に体験しています。

 

間近どころかその内側にいたといってもいいでしょう。フランス革命がまさに始まろうとしている1789年ごろ、ルドゥーテはマリー・アントワネットに仕え、博物収集室附き素描画家の座にありました。

もちろん革命によって、彼はすぐに雇い主を失うことになったのですが、外国人だったからでしょうか、マリー・アントワネットら王家の人たちが続々と逮捕・処刑されても彼自身は巻き添えを食うことはありませんでした。

 

そしてナポレオンが現れます。

この「英雄」率いるフランス軍が、イタリア、オーストリア、そしてエジプトと激戦を繰り広げているさ中、彼の最初の妻ジョゼフィーヌは騎兵大尉イッポリト・シャルルと不倫を重ねたりなどしながら贅沢三昧の暮らしをしておりました。

無類の植物愛好家だった彼女は、夫ナポレオンからのプレゼントであるマルメゾン城の敷地内に本格的な植物園を造ります。そしてスタッフも一流をそろえましょうということで、植物学者エティエンヌ・ピエール・ヴァントナや園芸家シャルル・フランソワ・ブリソー・ド・ミルベルらとともに、ルドゥーテを雇い入れました。

ルドゥーテが最初に着手したのはユリ科植物の画集だったようです。しかしマルメゾンの植物園で最も充実していたのはバラのコレクションでした。そこでルドゥーテがジョゼフィーヌ(このときすでにナポレオンと離婚していましたが、皇后の地位には留まっていました)にバラの画集を作ってはどうかと提案しますと、ジョゼフィーヌも「それ、いいわね」と賛同しまして、ユリ科が終わったら今度はバラ、ということになりました。

ところがその直後に何とナポレオンが失脚、エルバ島に流されてしまいます。すっかり気落ちしたジョゼフィーヌはたちまち体調を崩し、そのまま肺炎を患って51年の波乱に満ちた生涯を閉じてしまいました。

予期せぬ形で雇い主を失ったルドゥーテでしたが、画集の制作を諦めることはありませんでした。自ら苦心して資金を集め、『ユリ科植物図譜』全8巻をどうにか作り上げますと、すぐさまバラのほうに着手し、ジョゼフィーヌの死からちょうど10年後の1824年、『バラ図譜』全3巻を完成させたのでした。

 

ルドゥーテの『バラ図譜』は書物ですが、現在のような大量印刷によるものではありません。掲載されているすべての作品は銅版画の多色刷りで、その上さらに一点一点、着彩を直接加えてあります。

銅版画は通常、線を銅板に刻むのですが、ルドゥーテは線はでなく点を刻むスティップル・エングレービング(点刻彫版)というイギリスで開発された技法に独自の改良を加えて、植物の非常に柔らかで繊細な陰影や質感を見事に描き出しています。

 

『バラ図譜』の原画はルーブルの図書館に保管されていたのですが、パリ・コミューンの蜂起の混乱の中で火災にあい、焼失したといわれていました。しかし現在では、その一部が見つかっているようです。

 

 

Hungry Freaksでは、ルドゥーテの作品を素材にしたデザインも取り揃えております。

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「カゴメツユクサ」「カネラ」

今回のNEWデザインは、植物画を素材とした2点です。

 

カゴメツユクサ」(左)はシャーリー・ヒバードの著書 “New and Rare Beautiful-Leaved Plants” に掲載されているものです。

制作したベンジャミン・フォーセットについて調べてみると、英語版のウィキペディアでは "woodblock colour printer" とあって、printerは印刷業者という意味になりますが、版木を自ら彫っていたようなので、浮世絵でいう彫師と摺師を兼ねていたようです。元の絵も自身で描いていたのかはよくわかりません。

同サイトにはベンジャミン・フォーセットによる一色刷りに別の人が手彩色した美しい絵が掲載されています。今回の「カゴメツユクサ」は多色刷りによるものです。

 

「カネラ」(右)はジェームズ・モース・チャーチルとジョン・スチーブンソンという19世紀イギリスの2人の医師が刊行した『薬用植物誌』に掲載されているものです。

この絵も2人のうちどちらかが描いたのかどうかなど、詳細は不明です。

カネラはカネラ目カネラ科カネラ属に属する植物ですが、カネラにはシナモンという意味があります。しかし通常シナモンと呼ばれている植物はクスノキクスノキ科ニッケイ属に属するとのことで、植物画の美しさにただ惹かれるのみで植物学に詳しいわけではない私には、何だかよくわかりません。

 

ともかく何だかきれいな絵だな、着てみたいなと思われた方は、TシャツトリニティのHungry Freaksをぜひ覗いてみてください。

 

 

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エジプトの神々「モンチュ」「ネイト」

今回のNEWデザインは、レオン・ジャン・ジョゼフ・デュボアという、フランスのイラストレーターであり、ルーブル美術館のキュレーターでもあった人物が描いた、古代エジプトの2柱の神々です。

 

いずれの絵も、ロゼッタストーンの解読者として知られるシャンポリオンの著書『エジプトのパンテオン』に掲載されたもので、遺跡に残った壁画を鮮やかな色彩で再現しています。

 

モンチュは「戦いの守護者」として主にテーベで信仰されたようで、ハヤブサの頭を持ち、太陽と2枚の羽根飾りを頭につけています。

 

ネイトは古代エジプトの神々の中でもかなり古くから信仰されていた、戦いと狩猟の女神です。また知恵の女神ともみなされ、ホルスとセトが王位をめぐって争った際に仲裁に入ったともいわれています。

翼のついた姿で描かれるのは珍しいかと思いますが、頭が3つ(女性の顔の両脇にライオンと鷹(?))あるところからすると、他の神々との習合関係を表しているのかもしれません。シャンポリオンの著書を読んでいないので、はっきりしたことはわからないのですが。

 

 

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オーブリー・ビアズリー

オーブリー・ビアズリー「クライマックス」(『サロメ』より)

白黒ツートーンの鋭い対比、大胆な画面構成、頽廃的・耽美的な雰囲気、流麗な曲線、過剰なまでの装飾性…。

わずか25歳でこの世を去った、イギリスの世紀末を代表する芸術家オーブリー・ビアズリーは、21世紀の現代においても、世界的に人気の高い画家のひとりです。

 

ビアズリーといえば、何といってもオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』につけた、一連の挿絵が有名です。

というより、これらの挿絵がなければ戯曲『サロメ』は今ほど有名になっていなかったかもしれません。

実際、ワイルドも版元も、この挿絵が本来の主役を食ってしまうのではないかと恐れたようです。

「『サロメ』はワイルドとビアズリーの美学の戦いの場となった。ビアズリーはワイルドの世紀末のダンディズムがヴィクトリア朝スノビズム(俗物性)を引きずっていると嘲笑し、ヴィクトリア朝そのものに戦いを挑んだ」(海野弘『世紀末の光と闇の魔術師 オーブリー・ビアズリー』)

そんな「葛藤」が二人の間にあったことを考えると、ビアズリーの挿絵がついた『サロメ』刊行の翌年に、ワイルドが同性愛の罪(20世紀半ばまで、イギリス全土で同性愛は違法とされていました。同性愛と異性愛の扱いが完全に同等になったのは1997年のことです)で逮捕された際に、全く無関係だったビアズリーが文芸誌『イエロー・ブック』の美術主任の座を追われる破目になったのは皮肉なことです。

つまり『サロメ』の成功によって2人はまるでコンビのように見なされていたために、ビアズリーまでもがワイルドのスキャンダルの責を負わされてしまったのです。

 

ビアズリーの作品にはしばしば猥褻なモチーフのものがあります。

なかでも古代ギリシアの喜劇『女の平和』(アリストファネス作)のために描いた一連の作品は、手淫、放屁、巨大な男根など、描きたい放題です。

しかしこれらの作品はさほど陰にこもったところがなく、むしろ大らかで、ある意味においては健康的であるようにも見えます。

ビアズリーのこういった大らかな性表現に、日本の春画からの影響を指摘する人もいます。

ビアズリーは死の直前、カトリックに改宗し、自分が描いた猥褻な作品を破棄するよう知人に依頼したそうですが、その願いは(幸いにも)聞き入れられませんでした。

 

 

Hungry Freaksでは、ビアズリーの作品を素材にしたTシャツや日用品などを販売しております。

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