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ルドゥーテの『バラ図譜』

『バラ図譜』扉絵

「バラの画家」「花の画家」とも呼ばれる植物画かピエール・ジョゼフ・ルドゥーテはベルギー(南ネーデルランド)生まれですが、フランスで活躍しました。

彼が生まれたのは1759年、亡くなったのは1840年です。つまりブルボン王朝の末期からフランス革命、ナポレオン帝政、七月革命と、フランスの激動の時代をルドゥーテは間近に体験しています。

 

間近どころかその内側にいたといってもいいでしょう。フランス革命がまさに始まろうとしている1789年ごろ、ルドゥーテはマリー・アントワネットに仕え、博物収集室附き素描画家の座にありました。

もちろん革命によって、彼はすぐに雇い主を失うことになったのですが、外国人だったからでしょうか、マリー・アントワネットら王家の人たちが続々と逮捕・処刑されても彼自身は巻き添えを食うことはありませんでした。

 

そしてナポレオンが現れます。

この「英雄」率いるフランス軍が、イタリア、オーストリア、そしてエジプトと激戦を繰り広げているさ中、彼の最初の妻ジョゼフィーヌは騎兵大尉イッポリト・シャルルと不倫を重ねたりなどしながら贅沢三昧の暮らしをしておりました。

無類の植物愛好家だった彼女は、夫ナポレオンからのプレゼントであるマルメゾン城の敷地内に本格的な植物園を造ります。そしてスタッフも一流をそろえましょうということで、植物学者エティエンヌ・ピエール・ヴァントナや園芸家シャルル・フランソワ・ブリソー・ド・ミルベルらとともに、ルドゥーテを雇い入れました。

ルドゥーテが最初に着手したのはユリ科植物の画集だったようです。しかしマルメゾンの植物園で最も充実していたのはバラのコレクションでした。そこでルドゥーテがジョゼフィーヌ(このときすでにナポレオンと離婚していましたが、皇后の地位には留まっていました)にバラの画集を作ってはどうかと提案しますと、ジョゼフィーヌも「それ、いいわね」と賛同しまして、ユリ科が終わったら今度はバラ、ということになりました。

ところがその直後に何とナポレオンが失脚、エルバ島に流されてしまいます。すっかり気落ちしたジョゼフィーヌはたちまち体調を崩し、そのまま肺炎を患って51年の波乱に満ちた生涯を閉じてしまいました。

予期せぬ形で雇い主を失ったルドゥーテでしたが、画集の制作を諦めることはありませんでした。自ら苦心して資金を集め、『ユリ科植物図譜』全8巻をどうにか作り上げますと、すぐさまバラのほうに着手し、ジョゼフィーヌの死からちょうど10年後の1824年、『バラ図譜』全3巻を完成させたのでした。

 

ルドゥーテの『バラ図譜』は書物ですが、現在のような大量印刷によるものではありません。掲載されているすべての作品は銅版画の多色刷りで、その上さらに一点一点、着彩を直接加えてあります。

銅版画は通常、線を銅板に刻むのですが、ルドゥーテは線はでなく点を刻むスティップル・エングレービング(点刻彫版)というイギリスで開発された技法に独自の改良を加えて、植物の非常に柔らかで繊細な陰影や質感を見事に描き出しています。

 

『バラ図譜』の原画はルーブルの図書館に保管されていたのですが、パリ・コミューンの蜂起の混乱の中で火災にあい、焼失したといわれていました。しかし現在では、その一部が見つかっているようです。

 

 

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