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V・ブルーメンシャイン「白夜のタンゴ」

 

タンゴにはアルゼンチン・タンゴとコンチネンタル・タンゴがありますが、アルゼンチン・タンゴのほうは、だいぶ前から時折聴いています。やはりアストル・ピアソラが入口でしたが、「ラ・クンパルシータ」や「エル・チョクロ」のような古典的な曲もコンピレーションアルバムなんかで聴いたりしています。

コンチネンタル・タンゴ、つまりドイツなどヨーロッパのタンゴはアルゼンチンのものに比べるといわゆるイージーリスニングふうで、私には面白みがなく、なかなか聴く気にはありません。

ですから、タンゴといえばアルゼンチン、と思ってきましたし、アルゼンチンがタンゴの本家なのだろう、と決めつけてもいました。

 

ところが、この「白夜のタンゴ」というドキュメンタリー映画では、フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの声が「私は怒ってるんじゃない…いや、ちょっと怒ってるかもしれない」と話を切り出し、タンゴの起源はフィンランドであり、それが船乗りたちを介してウルグアイへ伝わり、さらにはアルゼンチンにも伝わってそこで花開いたのだ、と言い出します。

タンゴの歴史に詳しくない私などは、へえ、そうなんだ、と思うばかりですが、この映画に出てくるアルゼンチンのタンゴ・ミュージシャン3人は、そんなばかな、とカウリスマキの説を嗤います。そんなのはマラドーナが日本人だというようなものさ、などと言ったりもするのですが、ひとつその説を確かめてやろうじゃないか、ということで3人はフィンランドにやって来ます。

とはいっても、演奏が本業の陽気な3人は生真面目にタンゴの歴史を調べようとしたりなどしません。電車や車でフィンランドをあちこち移動して、真夏のフィンランドの美しい風景やサウナを愉しみながら、当地の音楽家たちに会っておしゃべりしたり、一緒に演奏を楽しんだりというシーンが続くのですが、「良い物は世界の財産で、悪い物は地域の問題さ」「音楽制作は聴くという行為の極致だ」「音楽は沈黙の一種だ」などと深い発言がポンポン飛び出したりもして、3人の旅はなかなか刺激的です。

そして最後に登場するのがレイヨ・タイパレという、フィンランド・タンゴのレジェンドのような存在で、カウリスマキの「マッチ工場の少女」にも出演しています。彼が同映画で歌う「サトゥマー」は彼の代表曲であり、フィンランド・タンゴを代表する曲でもあります。この曲は、フランク・ザッパヘルシンキでのライブを収めたアルバムでご当地ソングとして演奏しており、私も学生のころから知っています。

アルゼンチンから来た3人とタイパレが、白夜の湖畔でこの「サトゥマー」を歌うシーンはとても美しく、心底愉しそうに演奏する4人に羨望すら覚えます。

 

旅を終えた3人は「フィンランドにもタンゴはあったね」などとわかりきったことを結論にしてブエノスアイレスに戻り、映画は終わります。

ですから、カウリスマキが映画の冒頭で唱えた説が正しいかどうかは最後までわかりません。ただフィンランドのタンゴには素朴な感じがあって、やはりアルゼンチン・タンゴの古形なのかな、と思わせるところはあります。

しかし歴史的にどっちが先かなんてどうでもよくて、それよりも今を楽しむの音楽でしょ、というミュージシャンたちの気持ちが伝わる、いい映画でした。

 

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ビリー・ホリデイ

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ビリー・ホリデイの1930~40年代の歌声を聴いていると、この声をうまく言い表す言葉がないものか、とつい考えてしまうことがあります。曲によってはベッシー・スミスふうな歌い方をしていることもありますが、特にバラードとかゆったりめの曲を歌うときの声を的確に表現する言葉がなかなか見つかりません。

「艶がある」「ハスキー」「クール」「優しい」「哀しげ」「甘い」「渋い」…、いずれも合っていそうでいて、どうもぴったり来ない。「高度にコントロールされた猫なで声」なんていうのも考えてみましたが、やっぱり無理があります。

もちろん無理に言葉に言い表そうとしなくても、じっくり耳を傾け、浸りきればいいのですが…。

 


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もどかしいのは、彼女の歌が「ジャズ」の範疇にぴったり収まっていないような感じがするところも同様です。

例えばサラ・ヴォーンとかエラ・フィッツジェラルドとかは、もちろん2人とも強烈な個性をもっていますが、それでも聴いていて、ノリとか雰囲気とかいったところで、これぞジャズ! とはっきり感じることができます。

しかしビリー・ホリデイの場合、これぞビリー・ホリデイ! とは思えても、これぞジャズ! というのは、ちょっと違うんじゃないかと感じてしまいます。

もっともこれは、私のジャズに対する偏ったイメージのせいかもしれません。

私にとってジャズは、やはり楽器が主体の音楽というイメージがあります。

先ほど名前を挙げたサラ・ヴォーンエラ・フィッツジェラルドは、もちろん歌詞や歌心といったものを大事にしていないはずはないのですが、それでも声を楽器のように使うところがあって(特にエラ・フィッツジェラルドはそうですが)、そういう歌い方がジャズのフィーリングを醸し出していると私には感じられます。

しかしビリー・ホリデイは、ひたすら「歌」であることにこだわっているような歌い方をしています。そのために「いかにもジャズ」にはならずにいる、ということだと思います。あくまで私の主観なのですが。

そのことも含めて考えるなら、彼女の歌声はつまり「唯一無二」なのだ、と言うことができるでしょう。これが私に唯一思いつく、彼女の歌声を表す言葉です。

 


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範疇に収まっていないといえば見た目的にも、白黒の古い写真や映像で見る限りは、アフリカ系というよりハワイや南太平洋の先住民ふうに見えます(髪に花を挿しているせいもあるかもしれませんが)。

若い時には白人と間違えられることもあったそうで、カウント・ベイシー楽団とのツアーの際には、黒人のバンドで白人が歌ってるなんて怪しからんと怒り出す観客がいたというエピソードがあります。その一方で、白人のアーティ・ショウ率いる楽団といっしょに歌った際には、白人のバンドで黒人が歌うなんて、と怒る観客がいたという話もあるのですが。

 

ビリー・ホリデイと人種差別といえば、彼女の代表曲「奇妙な果実」に触れないわけにはいきません。

南部の木々には奇妙な果実が生っている。根っこも葉っぱも血に濡れて、黒い体が南風に揺れている…。

ビリー・ホリデイ自身が作詞したわけではありませんが、1939年以降、ライブではいつもこの曲を歌っていたといわれています。

公民権運動に先立つこと20年近く、白人の知識人が黒人差別を批判することは珍しくなかったでしょうが、黒人自身が、しかも女性で大衆音楽の歌い手が、人種差別を告発するプロテスト・ソングを歌うなんて、いかに衝撃的な「事件」だったことか。

当然のことながら、これを不愉快に感じていた白人が多かったのですが、その中に連邦麻薬局の局長に就任したばかりのハリー・アンスリンガーという人物がいました。

禁酒法が廃止されたばかりの時代、マリファナを含めて多くの麻薬がまだ合法であり、違法だったコカインやヘロインもそれほど大きなトラブルを起こしていたわけではなかったのですが、アンスリンガーは麻薬撲滅の大キャンペーンを張り、黒人やメキシコ移民が白人の若者に麻薬の害悪をまき散らそうとしている、と訴えかけました。

そして格好の槍玉として目をつけられたのが、彼にとって「身の程知らずの黒人女」であるビリー・ホリデイだったのです…。

この話はヨハン・ハリというジャーナリストが書いた『麻薬と人間 100年の物語』という本に載っていて、映画にもなっています(「ザ・ユナイテッド・ステイツvsビリー・ホリデイ」)。ですから最後までは書きませんが、興味のある方は本を読むか、映画を観るかしてみてください。

 


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晩年のビリー・ホリデイの歌声は、しゃがれていて、音域が狭くなり、しかし凄みがある、と言葉で言い表しやすくはなっていますが、それでも「唯一無二」であることに変わりはありません。

ただし晩年といっても彼女は40代前半で亡くなっているわけで、その年齢でこんな声になってしまったというのは、いったいどんな人生だったんだ、という話になります。

 

ビリー・ホリデイの人生は、人種差別や麻薬だけでなく、貧困、虐待、レイプ、売春、ヒモからのDV、度重なる逮捕・服役…と不幸に次ぐ不幸で、私生活での男性関係もろくなものではありませんでした。

しかし音楽活動においては、当時の最高レベルのミュージシャンたちと共演ができています。

ルイ・アームストロングレスター・ヤングベニー・グッドマンカウント・ベイシー、アーティ・ショウ、デューク・エリントン…。

またマイルス・デイヴィスと同じライブ・ハウスに出ていたそうですから、おそらく共演の機会もあったことでしょう。そして晩年の彼女の横でピアノを弾いていたのがマル・ウォルドロンでした(実をいうと、私が初めてジャズの生演奏を聴いたのがこの人のソロ・コンサートでして、個人的に思い入れのあるピアニストです)。

そんな素晴らしいミュージシャンたちの演奏をバックにビリー・ホリデイが「唯一無二」の声で歌っているのを、今でも私たちは聴くことができる。ほんとうにありがたいことだと思います。

 


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ボニーとクライドを題材にした3本の映画

クライド・バロウ(左)とボニー・パーカー(Wikipediaより)

「アンチ・ヒーロー」といえば、犯罪者であるにもかかわらず大衆の人気を集めている人物のことですが、ジェシー・ジェームズ、ビリー・ザ・キッドジョン・デリンジャーなど、アメリカには実在のアンチ・ヒーローがたくさんいます(日本にも石川五右衛門とか国定忠治とかいますが)。

そんな中でも特に人気が高いのが、ボニーとクライドの2人ではないかと思います。

やはり男女のカップルということでロマンチックな想像をかきたてられますし、世界恐慌の息苦しい世の中に銀行強盗を繰り返して義賊的なイメージもあるようです。

当然、2人を題材にした映画はたくさん作られています。中にはエドガー・フーヴァーによる犯罪撲滅キャンペーン映画もあったり、最近では2人を執拗に追いかけるテキサス・レンジャーのほうに焦点を当てて描いた作品がNetflixで公開されたりしていますが、今回はそんな中でも特に人気の高い3本の映画について書いてみたいと思います。

 

暗黒街の弾痕(1937年 原題;You Only Live Once)

ボニーとクライドが死んでからまだ3年しか経っていないタイミングで作られたのが、この「暗黒街の弾痕」です。

監督はフリッツ・ラング。サイレント時代からトーキーの草創期のかけて「メトロポリス」「怪人マブセ博士」「M」など、ドイツ表現主義映画の名作をいくつも作ってきた監督です。彼はユダヤ人で、表現主義芸術好きのナチス宣伝相ゲッペルス(「「ワシリー・カンディンスキー」参照)に、ユダヤ人だということは見逃してやるからナチスプロパガンダ映画を作ってくれないか、と口説かれたもののアメリカに亡命、「死刑執行人もまた死す」のような反ナチ映画の名作をはじめ、犯罪映画(いわゆる「フィルム・ノワール」)の傑作をハリウッドでたくさん作りました。「暗黒街の弾痕」は彼の亡命後2作目となった作品です。

この映画はボニーとクライドの話を最初に映画化したものといわれていますが、ストーリーは実際の2人の話とあまり似ていません。

そもそも名前が違っています。シルヴィア・シドニー演じる女の名前はジョーン、ヘンリー・フォンダ演じる男の名前はエディー。もっともジョーンの姉の名前がボニーなのですが、ジョーンの行く末を心配するやさしいお姉さんです。

エディーは子供のころから犯罪を繰り返していましたが、最後の事件で逮捕される直前にジョーンと出会います。ジョーンは犯罪とは縁のないまじめな女性でしたが、2人は相思相愛の仲となり、エディーが刑務所に入った後もジョーンは弁護士の秘書をしながら恋人の出所を待ちます。そして4年後(映画はここから始まります)、エディーが出所するとすぐに2人は結婚。エディーは更生を誓ってまじめに生きようとするのですが、前科者というレッテルのせいでささいなことから新しい勤め先をすぐに解雇され、さらには強盗殺人の冤罪によりまた逮捕されて、死刑の宣告を受けます。エディーは脱獄を決意し、ジョーンに銃を届けてほしいと頼みます…。

ここまでの話はボニーとクライドにほとんど関係ないといっていいのですが、脱獄後のエディーとジョーンの逃避行がようやくボニーとクライドの事件を想起させます。しかしエディーとジョーンの物語は悲劇の運命にもてあそばれる神話的な恋人たちのそれであって、ボニーとクライドの残虐とも痛快ともいえる話とはだいぶ異なります。

また、この映画は前科者に対する社会の偏見が彼らの更生を阻んでしまうという問題をテーマにしていますが、こういうテーマもボニーとクライドに関係があるようには思われません。フリッツ・ラングはこの映画の翌年に「真人間」という、同じテーマの映画を撮っています(こちらはコメディーふうで、結末もハッピーエンドです)。が、ドイツ時代の「M」におけるリンチ批判と同様、フリッツ・ラングにとって関心のあるテーマだったのでしょう。

「暗黒街の弾痕」は、テーマの重さを措くとしても、映画としての魅力に満ちた、美しい映画です。表現主義を経てきた監督らしい陰影の美しさ(後にフィルム・ノワールというジャンルの特徴ともなります)もすばらしいのですが、車の疾走に伴う悲壮感の高まりが、空き家の中での出産とジョーンの一時的な帰宅(これは実際のボニーのエピソードを反映しています)というインターバルを経て、森の中での2人の死によってピークに達するところがやはり圧巻です。もっともエディーが最後に天の声(?)を聞くのは、今の感覚からすると余計かなと思えますが、神話的なイメージの表出としてとらえることもできます。

そして魅力といえば、やはりジョーンを演じたシルヴィア・シドニーが魅力的です。この映画の前後にフリッツ・ラングが撮った「激怒」「真人間」に出ているほか、スタンバーグの「アメリカの悲劇」やヒッチコックの「サボタージュ」など、多くの巨匠の作品に起用されています。そして、遺作がティム・バートンの「マーズ・アタック!」。そう、いつも古臭いカントリーの曲を聴いていて、最後には宇宙人の侵略を防ぐのに貢献する、あのおばあちゃんを演じていたのが彼女です。

彼女が演じるジョーンは、何もかも捨ててエディーとの逃避行を選びます。まるで彼女にとってエディーは、フィルム・ノワールの典型的モチーフである「ファム・ファタール(運命の女)」ならぬ「オム・ファタール(運命の男)」だったかのようです。このジョーンの役は、かわいらしい顔立ちながら気の強さもあり、それでいてちょっと悲し気でもあるシルヴィア・シドニーのイメージにうまくはまっています。

そしてこんなふうに女性の役が際立つところが、ボニーとクライドという題材の特異性なのかもしれません。

 

拳銃魔(1950年 原題:Gun Crazy)

今回取り上げた3本の映画の中では、作品、監督(ジョセフ・H・ルイス)、俳優(ペギー・カミンズ、ジョン・ドール)、いずれの知名度もいちばん低いのですが、私は好みでいえばこの映画がいちばん好きです。私だけでなく、B級ノワールファンの間ではカルト的な人気を集めている作品です。また、この後取り上げる「俺たちに明日はない」と同様、アメリカ国立フィルム登録簿に登録されてもいます。

脚本は、クレジット上では「我等の生涯の最良の年」の原作者であり、この作品の原作者でもあるマッキンレー・カンターと「日本人の勲章」の脚本家であるミラード・カウフマンが名を連ねていますが、実際に書いたのはダルトン・トランボです。彼は赤狩りの際に議会侮辱罪で収監されましたが、その収監直前に書いた作品の一つがこれだったようです。

この映画もまた、実際のボニーとクライドの話とはかなり違っていますが、「暗黒街の弾痕」ほどではありません。こちらでは、女のほうも(というより、女のほうが、なのですが)積極的に犯罪を犯しています。

そして名前はやはりボニーとクライドではなく、女がローリー、男がバートです。バートの幼馴染の一人がクライドという名前ですが、成人してから保安官になって、バートに自首を促します。

先ほど少し触れたように、この映画では女のほうが犯罪に積極的で、人も殺します。それに対して男のほうは子供のころから銃に取りつかれていて、思い余って金物屋のショーウィンドーから拳銃を盗もうとして少年院に送られるのですが(字幕には「金物屋」と出ているのですが、昔のアメリカでは金物屋で拳銃を売っていたのでしょうか?)、幼少時におもちゃの空気銃で小鳥を死なせて大泣きして以来、人間はもちろん動物も決して撃とうとしません。

そんな彼が友人たちと訪れたドサ回り一座の興行で、拳銃使いのアニー・ローリー・スター(アニーはおそらく「アニーよ銃をとれ」のアニーからついた芸名だと思います。この時代、アメリカ国内にどれくらいのアニーがいたことでしょう)と出会います。そしてバートもこの一座に加わりますが、すぐにローリーといっしょに辞めて2人は結婚。しかしローリーの浪費壁のためにすぐに所持金が底をつき、バートは仕事探しを始めますが、ちょっとやそっとの稼ぎでは生きていけないとローリーが主張し、2人は拳銃を使ってホールドアップ強盗を始めます。最初は小さな商店をターゲットにしていましたが、やがて銀行も狙うようになる…。

この映画でいちばん有名なのは、何といっても自動車の車内にカメラを入れて撮影した長回しのシーンです。この当時の映画では車の運転シーンというと、スタジオ内に置かれた自動車のセットに俳優が乗り、背後に流れる風景を映して一緒に撮る「スクリーン・プロセス」という技法が普通は使われます。もちろんこの映画でもスクリーン・プロセスを使っているシーンはあるのですが、バートが銀行に入って強盗をし、ローリーが外で待機して、バートが戻るとすぐに車を出して立ち去るまでを1カットで撮っているシーンでは、車を銀行の前に乗りつけるところからタイヤが砂を踏む音やシートのきしむ音が入っていて、光の調子も全く異なります。この作品より前にカメラを車に積んで撮影したケースがあったのかどうか私は知りませんが、このシーンはそういう技術的な話を超えて、とても素晴らしいです。銀行の前を去った後に聞こえる2人の荒い息遣いは演技とも本物ともつかず、追手の様子を確かめようと振り返るローリーの顔にはギラギラした恍惚感が表れていて、見ているこちらもゾクゾクさせられます。

その後、綿密な計画を立てて実行した食品加工会社での強盗では、逃走の際にローリーが人を殺してしまいます。バートがそのことでローリーを責めると、ドサ回りの一座にいたときにも1人殺して座長に脅されていたのだとローリーは打ち明けますが、目的のための冷静な判断として殺すのではなく、恐怖による思考停止のために殺してしまうのだと彼女は言います。ローリーもまた殺人を好んでいないという設定は、反戦主義者だったトランボのアイデアかもしれません。

この映画でも最後に2人は、逃避行の果てに森の中へと入っていきます。そして霧の中での幻想的なラストシーン、衝撃の結末。低予算のB級映画なのですが、見終わった後、贅沢な時間を味わったような、いい気持ちにさせられます。

そしてこの映画もやはり、ローリーを演じたペギー・カミンズが魅力的です。アイルランド出身で、イギリスが主な活躍の場だったようなのですが、登場シーンでの拳銃パフォーマンスといい、全速力で走る姿といい、顔よりも動きの美しさに見とれます。

この映画を論じる人の中には、ローリーをファム・ファタールの典型のように言う人がいますが、典型的なファム・ファタールは自分ではあまり動かずに、男を誑して犯罪を犯させます。しかしローリーはあくまでもバートと一心同体で、彼をだまそうとは決して考えていません。

実際のボニー・パーカーがどういう人物だったか詳しくはわかりませんが、ローリーのようなキャラクターを生み出す元になるものがあったのは確かかと思います。

 

俺たちに明日はない(1967年 原題:Bony and Clyde)

一般的には、映画でボニーとクライドといえば、この作品がまず挙げられます。興行的にもメディアの評価の点でも大成功を収めた作品であることはもちろんですが、タイトルからしてボニー&クライドですし、内容も史実にある程度沿っています(忠実とまではいきませんが)。

しかし監督のアーサー・ペンはこの映画をドキュメンタリーふうに撮ってはいませんし、アクションたっぷりの犯罪映画にする気もなかったようです(銃撃戦のシーンや有名なラストの銃殺シーンはとても迫力がありますが)。

私の印象では、この映画はやはり青春映画なのだと思います。

この映画はいわゆる「アメリカン・ニュー・シネマ」の劈頭を飾る作品として知られています。そしてアメリカン・ニュー・シネマとは、乱暴な言い方をすれば、どんなジャンルの映画も青春映画にしてしまう運動だったように思えます。

青春映画といっても、イコール年齢的な意味での若者を主人公にした映画というわけではありません。ポール・マザースキーの映画「ハリーとトント」の主人公であるおじいさんも、街をさまよい、人と出会うということでは若者と同じです。

「青春」というのは、ボニーとクライドやブッチとサンダンスのような名のある悪党であっても、私たちと同じような普通の人間だったのであり、いつでも不完全で成熟しきれないところがあって、いろいろなことで悩み、喜び、悲しみ、怒りながら生きていたのだということです。

そして青春映画としてのアメリカン・ニュー・シネマとは、そういう普通の人間たちを「等身大」に描こうという運動だったのではないかと思います。アメリカン・ニュー・シネマに先立って、ヌーベルバーグのように世界のあちこちで若い世代の映画作家たちが先行世代の紋切り型に反抗し、新たなリアリティの表現を追い求めましたが、アメリカン・ニュー・シネマの作家たちにとっては「等身大」というのが追求するべき新たなリアリティだったのではないかと思います。そしてそのことがアメリカン・ニュー・シネマに属する一連の映画の「良さ」でもあり「つまらなさ」でもあったと私は感じています。

俺たちに明日はない」はあまりにも有名な作品なので細かい解説はしませんが、この作品もまたアメリカン・ニュー・シネマ特有の「良さ」と「つまらなさ」を兼ね備えています。その点でやはり、この映画はアメリカン・ニュー・シネマの原点であるとともに代表作でもあるのだと思います。

そして、この映画もまたボニーを演じるフェイ・ダナウェイが魅力的です。冒頭の裸のシーンは正直なところあまりいいとは思わないのですが、短いスカートで生足を見せながら機関銃を打ちまくる姿はとてもセクシーです。もっとちゃんと映してくれればいいのにとも思います。

フェイ・ダナウェイはデビューして間もないうちにこの映画の成功で大物になりすぎてしまい、大作映画や巨匠の晩年の作品のオファーばかり受けてしまって、結局は作品に恵まれなかったような気がします。好きな俳優さんだけに残念です。

 

銃、車、男女の逃避行、2人を追いかける警察、騒ぎ立てる新聞、家族や親しい人とのつかの間の再会の後の悲劇的な結末。

これらが上記3作に共通して登場するモチーフなのですが、ストーリーの違いによって、それぞれのモチーフの持つ意味が全く異なっています。同じ題材でそういう違いが出るところも、映画の面白さだなあと思います。

 

――

 

俺たちに明日はない」の中で、ボニー・パーカーが作ったといわれる「ボニーとクライドの物語」という詩が朗読されますが、この詩をもとに作られたのが、セルジュ・ゲンズブールブリジット・バルドーのデュエット曲「ボニーとクライド」です。

今回はこの曲でお別れです。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。


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清志郎を思う 2

※イメージ画像

どうせ、選挙は当分ないし。

どうせ、「気を付けます」って言えば済むし。

どうせ、違法性があるわけじゃないし(たぶん)。

どうせ、黒塗りされるし。

どうせ、本気で変えようと思ってる人なんていないし(いても力ないし)。

♪ 何も変わらないさ

 


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清志郎を思う

 

ヤダナ~、ヤダナ~

今日から2ヶ月後は、こればっかり歌ってそう。

 


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芸術における「叫び」

「ひとつの恐怖の時代を生きたフランスの哲学者の回想によれば、人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫びが自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑うということだ。

 戦争も、洪水も、ペストも大地震も大火も、人間をみまっていない時、そのような安堵の時にも、確たる理由なく恐怖を感じながら生きる人間が、この地上のところどころにいる。かれらは沈黙して孤立しているが、やはり恐怖の時代においてとおなじく、ひとつの叫び声をきくとその叫びを自分の声だったかと疑う。そしてそのような叫び声は恐怖に敏感なものの耳にはほとんどつねに聞えつづけているのである。かなり以前のことだが、僕もまたその叫び声を聞く者のひとりだった。僕は二十歳で、同じ年頃の二人の仲間といっしょに、若いアメリカ人の家に同居して暮していた。それは僕の《黄金の青春の時》だった」

 

これは大江健三郎が1962年に発表した小説「叫び声」の冒頭です。引用(サルトルらしいです)を現代の状況へと敷衍してから物語の内へさらりと読者を導き入れていく…、私ごときが言うのも僭越ですが、さすが大江健三郎だと思います。

叫びは見た目的には能動的な行為のようですが、実際には恐怖に対して反射的にほとばしるのですから、むしろ受動的なものといえます。

「叫び声」の主要登場人物である「僕」とその「仲間」たちは、初期の大江健三郎が繰り返し描いた「性的人間」です。大江健三郎の文章「われらの性の世界」によれば、「性的人間」とは「かれにとって本来、他者は存在しない」し「かれ自身、他のいかなる存在にとっても他者でありえない」者たちであって、常に他者と鋭く対立する「政治的人間」と対照されています。

「性的人間」たちは時代の状況に対して受動的であらざるをえません。だから同じ状況にある誰かの叫び声が、常に自分自身の叫び声でもある、ということかと思います。

「叫び声」の登場人物たちが置かれている状況は「同じ年頃の二人の仲間といっしょに、若いアメリカ人の家に同居して暮していた」という設定で象徴されています。つまりこの小説の発表から60年経った今も、私たち日本人は同じ状況を生きているのだ、ということになります。

 

美術における「叫び」

美術において「叫び」といえば、ムンクの絵があまりにも有名です。有名すぎてさんざんパロディーにされ、なかなか純粋な目で鑑賞することが難しかったりします。しかし目を凝らしてじっと見ていると、まずは中央の人物が自ら叫んでいるのか、他人の叫びに耳を閉ざそうとしているのかが曖昧なのがわかります。

この場合の他人とは誰か? 歪んだ荒々しい線で描かれた背景を見ていると、具体的な誰かが叫んでいるというより、風景そのものが、世界そのものが叫んでいるかにも見えます。中央の人物はその風景に溶け込み、叫びに溶け込んでいるようでもあります。

ところが橋の奥のほうにいる二人に目を移すと、この人物たちはどうも叫びと無関係に見えます(おそらく、二人であるということが重要だと思います)。シルエットではありますが、紳士風の出で立ちか、あるいは制服を着た警官にも見えます。この二人を中央の人物と対比させると、さっきは風景に溶け込んでいた中央の人物が今度は周囲の世界から疎外され、孤独であるがゆえに叫んでいるようにも見えてきます…。

以上は私の勝手な感想ですが、明確な意味づけや焦点化を拒むような不明瞭さが不安感を喚起する、というのがこの絵のポイントかと思います。

 

ムンク「叫び」ほどではありませんが、イギリスの画家フランシス・ベーコンの「ベラスケスの教皇インノケンティウス10世の肖像画による習作」も、叫びを描いた有名な作品です(画像はこちら)。

この絵はタイトルにあるベラスケスの作品「教皇インノケンティウス10世の肖像画」の顔だけを、エイゼンシュタインの映画「戦艦ポチョムキン」に出てくる乳母の叫ぶ顔に差し替えています。描き方はベラスケスのように明快ではなく、不気味な雰囲気が画面を覆っていて、上下に走る線が落下しているようにも、昔のブラウン管テレビが消えるときのようにも見えて、今すぐにでも教皇の姿が消失しそうな印象があります。電気椅子に掛けられた死刑囚にも見えます。

作者はこの絵について、表現したかったのは恐怖や不安といった感情ではなく、叫びそのものだったのだと言っているようです。だいぶ前にフランスの哲学者ジル・ドゥルーズがベーコンについて書いているのを読んだことがありますが、この絵の叫ぶ口は機能性をもたない穴であるみたいなこと(「器官なき身体」ってやつですね)が書いてあったような覚えがあります。

ベーコンの絵は一見表現主義的ですが、感情とか内面性とか人間性とかとは無縁なところで人間を描こうとしていたように思われます。そして、つい人間主義的に絵を見てしまう者にはそれがかえって残酷さや恐怖感として感じられるのかもしれません。

 

音楽における「叫び」

音楽で「叫び」となると、クラシックでは、20世紀の作曲家アルバン・ベルクのオペラ「ルル」で最後に主人公のルルが上げる叫び声が印象的です。

あの声の音程は楽譜で指示されているのか、他にも叫び声が入るオペラがあるのか、私は詳しくないのでよくわかりませんが、ヴェデキントの戯曲を元にした退嬰的なストーリーと不気味に揺蕩うような音楽が叫び声で締めくくられるのを最初に聴いたときは、ぞくっとしました。

 

黒人音楽やロックでは、叫ぶような歌い方、つまりシャウトが技巧としてあります。

個人的にはやはり、ジェームズ・ブラウンジャニス・ジョプリンあたりのシャウトがびりびり来ます(趣味が古くてすみません)。日本だと、フラワー・トラベリング・バンド時代のジョー山中がうまかったと思います(やっぱり古い)。あとはカルメン・マキとか(やっぱり…)。

 

ロックでは、技巧としてのシャウトにとどまらない「叫び」もあると思います。

例えば、ドアーズの "The End" で、「お父さん。何だい。僕はあんたを殺したいんだ。お母さん、僕はあんたを…」と言った後に、Hold onと言ってるのか、何と言っているのかよくわからない、あの叫びなんかは印象的です。

あとはオノ・ヨーコの "Don't Worry Kyoko" で、Don't Worry~と繰り返し叫ぶのも強烈です。

 

映画における「叫び」

映画には、叫ぶシーンを含むものがたくさんあり、挙げていくとキリがありません。

YouTubeで、アメリカ映画の「絶叫」シーン(観客が叫ぶのではなく、登場人物が叫ぶシーン)を50本集めた動画を見つけました。

「サイコ」や「シャイニング」のような古典中の古典はもちろん、「ホーム・アローン」のようなコメディーや「キル・ビルVol.2」のようなアクション映画の「絶叫」シーンも含まれています。怖い場面とかが苦手でなければご覧ください。


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私が個人的に好きなのは「蠅男の恐怖」のHelp me~!と叫ぶシーンと「SF/ボディ・スナッチャー」の指差し絶叫シーンです。しかし上の動画を見て思ったのですが、「SF/ボディ・スナッチャー」のこの有名なシーンは、戦前のホラー映画「オペラの怪人」が元ネタなんでしょうか? 何か…よく似てます。

クワイエット・プレイス」の母親が叫ぶシーンが出てきましたが、この映画では父親が叫ぶところのほうが印象的です。いかにもアメリカ人が好きそうなシーンです。

 

日本映画で印象的な「絶叫」シーンとなりますと、三隈研次の「新撰組始末記」で藤村志保市川雷蔵に抱きついて叫ぶシーンと、黒沢清監督作「クリーピー 偽りの隣人」の最後で竹内結子が泣き叫ぶシーンが頭に浮かんできます。

どちらとも、恐怖のさ中に叫ぶのではなく、恐怖から解放された後に叫んでいます。確かに怖い思いをしている間は、叫び声すら出ないくらい体がこわばっているのが普通かと思います。そして、その緊張から解き放たれたとき(それでも、喜びというよりは何か暗い感情が心を占めているとき)、押しとどめられていた叫びがわっと出るというのはリアリティがあると思います。

アメリカ、日本以外の国ですと、上記の「戦艦ポチョムキン」もいいですし、先日亡くなったピーター・ブルックの「雨のしのび逢い」で最後に響き渡るジャンヌ・モローの叫び声もインパクトがあります。

 

そして、何といってもイエジー・スコリモフスキの「ザ・シャウト/さまよえる幻響」です。すさまじい叫び声で人をも殺せるという(「オバケのQ太郎」にでてくるО次郎の「ボム!」みたいなものです。また古い…)謎の男が主人公で、ジャンルでいえば超能力スリラーにあたります。

この映画が製作されたのは1978年で、ユリ・ゲラーブームもあり、デ・パルマの「キャリー」などの超能力映画が多く作られた時期です。しかし最近でも「エッセンシャル・キリング」や「イレブン・ミニッツ」など、戦争映画とかサスペンスとか、何らかのジャンルに当てはまりそうでいてどこかはみ出したところのある映画を撮り続けているスコリモフスキ監督ですから、この映画もやはりその他の超能力ものとは一線を画した、不思議な映画です。

特に印象に残るのは、砂丘らしき場所で、髭面の主人公(演じるアラン・ベイツのふてぶてしくいかがわしい雰囲気が最高です)が鼻の穴をおっぴろげ、大口を開けて叫びを発した途端、近くにいた山羊だか羊だかの群れがバタバタッと倒れていくシーンです。名シーンといっていいのかはわかりませんが、少なくとも強烈なインパクトと残す(それでいながら笑えたりもする)シーンです。

この映画には、上記のベーコンの「ベラスケスの教皇インノケンティウス10世の肖像画による習作」が出てきます(別バージョンなのか、拡大しているのか、バストアップになっています)。スコリモフスキは、ベーコンのコンセプトを意識していたのか、確かにこの映画も、恐怖や不安から来る叫びではなく、叫びそのものを描いた映画です。しかしそれだけでなく、叫びが恐怖をもたらしているともいえます。

 

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恐怖→叫び→恐怖と、結局一周回ってきたわけですが、何かにつけ「静かにしろ!」「黙れ!」とどやされる今の世の中で、この円周を打ち破るためにも、あえて叫びを、それも他人のではない、私自身の叫びを叫んでみたほうがいいのかもしれません。

なんて言いながら、結局はいつも小声で愚痴ってばかりの私なのですが…。

 

 

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ロバート・ジョンソン

「27クラブ」という言葉が、ロック好きの間でよく語られます。ご存じの方も多いかと思いますが、27歳で亡くなった有名ミュージシャンたちのことです。

ブライアン・ジョーンズジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンジム・モリスンカート・コバーンエイミー・ワインハウス…。そうそうたる名前がこのクラブのメンバー表には連なっていますが、その筆頭にしばしば挙げられるのが、ミシシッピ・デルタ・ブルースの王様、ロバート・ジョンソン(1911~1938)です。

 

私がロバート・ジョンソンを知ったのは、確かローリング・ストーンズの『レット・イット・ブリード』に収められている "Love in Vain" の作者としてだったと思います。

彼の曲を収めたアルバムをレンタルショップで借りて、最初に聴いたときの印象は「何かよくわかんないけどスゴイ!」でした。当時すでにビリー・ホリデイは聴いていましたが、彼女にも通じる「ソウル」としか呼びようのないものに触れる思いがしました。

ストーンズによる "Love in Vain" は有名ですが、他にも彼の曲のカバーには名演がたくさんあります。クリームの "Crossroads" "Four Until Late"、ローリング・ストーンズの "Stop Breaking Down"、レッド・ツェッペリンの "Traveling Riverside Blues"、マジック・サムの "Sweet Home Chicago"…。挙げればキリがありませんが、私が個人的に好きなのは、晩年のギル・スコット・ヘロンによる "Me and the Devil" です。

 

ロバート・ジョンソンといえば「クロスロード伝説」が有名です。あいつのギターがすごいのは、十字路で悪魔に魂を売って取引したからさ。そんな話がブルース好きの間で広まったといわれています。

ところで十字路で悪魔、というのは実は珍しくない話です。といっても私は日本についてしか知らないのですが、「辻神」などといって、四つ辻に魔物や妖怪が現れるという話が日本各地に伝わっています。道祖神はそういう魔物を追い払うためのものとも言われています。

また沖縄の道端でよく見かける「石敢當」(私は沖縄在住ではありませんが、うちの近所でもたまに見かけます)も、これはY字路やT字路が多いようですが、やはり辻の魔物を退散させるためのものらしいです。

アメリカにも同じような言い伝えや信仰があるのかどうかは、私にはわかりません。

「クロスロード伝説」は "Crossroads Blues" と "Me and the Devil Blues" という2つの曲名からの連想に過ぎないのかもしれません。

どちらの曲も悪魔との取引のことなど歌ってはいません。彼が歌っているのは、あまり境遇に恵まれない人が抱える閉塞感や苛立ちであり、脱出へのあこがれです。

これらは100年後を生きる私たちにもよくわかる、普遍的な感情だと思います。だからエリック・クラプトンは、ロバート・ジョンソンこそがポップ・ミュージックのルーツだと言ったのかもしれません。

 

彼が27歳で死んだ死因については毒殺説(彼の女癖の悪さは有名でした)や病死説などいろいろあるらしく、はっきりしたことはわかっていません。

ケロッグ博士』などで知られる作家T・コラゲッサン・ボイルの短編小説「おれの行く道は石だらけ、地獄の猟犬がつきまとう(Stones in My Passway, Hellhound on My Trail)」は毒殺説を元に、ロバート・ジョンソンの最期を描いています。

彼の死は特に報道もされなかったようで、その数か月後にプロデューサーのジョン・ハモンドアレサ・フランクリンボブ・ディランらを発掘した人)がカウント・ベイシーなど黒人ミュージシャンを集めたカーネギー・ホールでのコンサートを企画した際、ロバート・ジョンソンにも出てもらおうと必死に探し回って、ようやく彼の死を知ったといわれています。

 

  おれの行く道は石だらけ

  夜のように真っ黒だ。

  おれのこころは痛みだらけ

  食い気なんて消えちまった。

            "Stones in My Passway" より

(「おれの行く道は石だらけ、地獄の猟犬がつきまとう」(青山南訳『血の雨 T・コラゲッサン・ボイル傑作選』所収)より引用)

 

 

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