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ボニーとクライドを題材にした3本の映画

クライド・バロウ(左)とボニー・パーカー(Wikipediaより)

「アンチ・ヒーロー」といえば、犯罪者であるにもかかわらず大衆の人気を集めている人物のことですが、ジェシー・ジェームズ、ビリー・ザ・キッドジョン・デリンジャーなど、アメリカには実在のアンチ・ヒーローがたくさんいます(日本にも石川五右衛門とか国定忠治とかいますが)。

そんな中でも特に人気が高いのが、ボニーとクライドの2人ではないかと思います。

やはり男女のカップルということでロマンチックな想像をかきたてられますし、世界恐慌の息苦しい世の中に銀行強盗を繰り返して義賊的なイメージもあるようです。

当然、2人を題材にした映画はたくさん作られています。中にはエドガー・フーヴァーによる犯罪撲滅キャンペーン映画もあったり、最近では2人を執拗に追いかけるテキサス・レンジャーのほうに焦点を当てて描いた作品がNetflixで公開されたりしていますが、今回はそんな中でも特に人気の高い3本の映画について書いてみたいと思います。

 

暗黒街の弾痕(1937年 原題;You Only Live Once)

ボニーとクライドが死んでからまだ3年しか経っていないタイミングで作られたのが、この「暗黒街の弾痕」です。

監督はフリッツ・ラング。サイレント時代からトーキーの草創期のかけて「メトロポリス」「怪人マブセ博士」「M」など、ドイツ表現主義映画の名作をいくつも作ってきた監督です。彼はユダヤ人で、表現主義芸術好きのナチス宣伝相ゲッペルス(「「ワシリー・カンディンスキー」参照)に、ユダヤ人だということは見逃してやるからナチスプロパガンダ映画を作ってくれないか、と口説かれたもののアメリカに亡命、「死刑執行人もまた死す」のような反ナチ映画の名作をはじめ、犯罪映画(いわゆる「フィルム・ノワール」)の傑作をハリウッドでたくさん作りました。「暗黒街の弾痕」は彼の亡命後2作目となった作品です。

この映画はボニーとクライドの話を最初に映画化したものといわれていますが、ストーリーは実際の2人の話とあまり似ていません。

そもそも名前が違っています。シルヴィア・シドニー演じる女の名前はジョーン、ヘンリー・フォンダ演じる男の名前はエディー。もっともジョーンの姉の名前がボニーなのですが、ジョーンの行く末を心配するやさしいお姉さんです。

エディーは子供のころから犯罪を繰り返していましたが、最後の事件で逮捕される直前にジョーンと出会います。ジョーンは犯罪とは縁のないまじめな女性でしたが、2人は相思相愛の仲となり、エディーが刑務所に入った後もジョーンは弁護士の秘書をしながら恋人の出所を待ちます。そして4年後(映画はここから始まります)、エディーが出所するとすぐに2人は結婚。エディーは更生を誓ってまじめに生きようとするのですが、前科者というレッテルのせいでささいなことから新しい勤め先をすぐに解雇され、さらには強盗殺人の冤罪によりまた逮捕されて、死刑の宣告を受けます。エディーは脱獄を決意し、ジョーンに銃を届けてほしいと頼みます…。

ここまでの話はボニーとクライドにほとんど関係ないといっていいのですが、脱獄後のエディーとジョーンの逃避行がようやくボニーとクライドの事件を想起させます。しかしエディーとジョーンの物語は悲劇の運命にもてあそばれる神話的な恋人たちのそれであって、ボニーとクライドの残虐とも痛快ともいえる話とはだいぶ異なります。

また、この映画は前科者に対する社会の偏見が彼らの更生を阻んでしまうという問題をテーマにしていますが、こういうテーマもボニーとクライドに関係があるようには思われません。フリッツ・ラングはこの映画の翌年に「真人間」という、同じテーマの映画を撮っています(こちらはコメディーふうで、結末もハッピーエンドです)。が、ドイツ時代の「M」におけるリンチ批判と同様、フリッツ・ラングにとって関心のあるテーマだったのでしょう。

「暗黒街の弾痕」は、テーマの重さを措くとしても、映画としての魅力に満ちた、美しい映画です。表現主義を経てきた監督らしい陰影の美しさ(後にフィルム・ノワールというジャンルの特徴ともなります)もすばらしいのですが、車の疾走に伴う悲壮感の高まりが、空き家の中での出産とジョーンの一時的な帰宅(これは実際のボニーのエピソードを反映しています)というインターバルを経て、森の中での2人の死によってピークに達するところがやはり圧巻です。もっともエディーが最後に天の声(?)を聞くのは、今の感覚からすると余計かなと思えますが、神話的なイメージの表出としてとらえることもできます。

そして魅力といえば、やはりジョーンを演じたシルヴィア・シドニーが魅力的です。この映画の前後にフリッツ・ラングが撮った「激怒」「真人間」に出ているほか、スタンバーグの「アメリカの悲劇」やヒッチコックの「サボタージュ」など、多くの巨匠の作品に起用されています。そして、遺作がティム・バートンの「マーズ・アタック!」。そう、いつも古臭いカントリーの曲を聴いていて、最後には宇宙人の侵略を防ぐのに貢献する、あのおばあちゃんを演じていたのが彼女です。

彼女が演じるジョーンは、何もかも捨ててエディーとの逃避行を選びます。まるで彼女にとってエディーは、フィルム・ノワールの典型的モチーフである「ファム・ファタール(運命の女)」ならぬ「オム・ファタール(運命の男)」だったかのようです。このジョーンの役は、かわいらしい顔立ちながら気の強さもあり、それでいてちょっと悲し気でもあるシルヴィア・シドニーのイメージにうまくはまっています。

そしてこんなふうに女性の役が際立つところが、ボニーとクライドという題材の特異性なのかもしれません。

 

拳銃魔(1950年 原題:Gun Crazy)

今回取り上げた3本の映画の中では、作品、監督(ジョセフ・H・ルイス)、俳優(ペギー・カミンズ、ジョン・ドール)、いずれの知名度もいちばん低いのですが、私は好みでいえばこの映画がいちばん好きです。私だけでなく、B級ノワールファンの間ではカルト的な人気を集めている作品です。また、この後取り上げる「俺たちに明日はない」と同様、アメリカ国立フィルム登録簿に登録されてもいます。

脚本は、クレジット上では「我等の生涯の最良の年」の原作者であり、この作品の原作者でもあるマッキンレー・カンターと「日本人の勲章」の脚本家であるミラード・カウフマンが名を連ねていますが、実際に書いたのはダルトン・トランボです。彼は赤狩りの際に議会侮辱罪で収監されましたが、その収監直前に書いた作品の一つがこれだったようです。

この映画もまた、実際のボニーとクライドの話とはかなり違っていますが、「暗黒街の弾痕」ほどではありません。こちらでは、女のほうも(というより、女のほうが、なのですが)積極的に犯罪を犯しています。

そして名前はやはりボニーとクライドではなく、女がローリー、男がバートです。バートの幼馴染の一人がクライドという名前ですが、成人してから保安官になって、バートに自首を促します。

先ほど少し触れたように、この映画では女のほうが犯罪に積極的で、人も殺します。それに対して男のほうは子供のころから銃に取りつかれていて、思い余って金物屋のショーウィンドーから拳銃を盗もうとして少年院に送られるのですが(字幕には「金物屋」と出ているのですが、昔のアメリカでは金物屋で拳銃を売っていたのでしょうか?)、幼少時におもちゃの空気銃で小鳥を死なせて大泣きして以来、人間はもちろん動物も決して撃とうとしません。

そんな彼が友人たちと訪れたドサ回り一座の興行で、拳銃使いのアニー・ローリー・スター(アニーはおそらく「アニーよ銃をとれ」のアニーからついた芸名だと思います。この時代、アメリカ国内にどれくらいのアニーがいたことでしょう)と出会います。そしてバートもこの一座に加わりますが、すぐにローリーといっしょに辞めて2人は結婚。しかしローリーの浪費壁のためにすぐに所持金が底をつき、バートは仕事探しを始めますが、ちょっとやそっとの稼ぎでは生きていけないとローリーが主張し、2人は拳銃を使ってホールドアップ強盗を始めます。最初は小さな商店をターゲットにしていましたが、やがて銀行も狙うようになる…。

この映画でいちばん有名なのは、何といっても自動車の車内にカメラを入れて撮影した長回しのシーンです。この当時の映画では車の運転シーンというと、スタジオ内に置かれた自動車のセットに俳優が乗り、背後に流れる風景を映して一緒に撮る「スクリーン・プロセス」という技法が普通は使われます。もちろんこの映画でもスクリーン・プロセスを使っているシーンはあるのですが、バートが銀行に入って強盗をし、ローリーが外で待機して、バートが戻るとすぐに車を出して立ち去るまでを1カットで撮っているシーンでは、車を銀行の前に乗りつけるところからタイヤが砂を踏む音やシートのきしむ音が入っていて、光の調子も全く異なります。この作品より前にカメラを車に積んで撮影したケースがあったのかどうか私は知りませんが、このシーンはそういう技術的な話を超えて、とても素晴らしいです。銀行の前を去った後に聞こえる2人の荒い息遣いは演技とも本物ともつかず、追手の様子を確かめようと振り返るローリーの顔にはギラギラした恍惚感が表れていて、見ているこちらもゾクゾクさせられます。

その後、綿密な計画を立てて実行した食品加工会社での強盗では、逃走の際にローリーが人を殺してしまいます。バートがそのことでローリーを責めると、ドサ回りの一座にいたときにも1人殺して座長に脅されていたのだとローリーは打ち明けますが、目的のための冷静な判断として殺すのではなく、恐怖による思考停止のために殺してしまうのだと彼女は言います。ローリーもまた殺人を好んでいないという設定は、反戦主義者だったトランボのアイデアかもしれません。

この映画でも最後に2人は、逃避行の果てに森の中へと入っていきます。そして霧の中での幻想的なラストシーン、衝撃の結末。低予算のB級映画なのですが、見終わった後、贅沢な時間を味わったような、いい気持ちにさせられます。

そしてこの映画もやはり、ローリーを演じたペギー・カミンズが魅力的です。アイルランド出身で、イギリスが主な活躍の場だったようなのですが、登場シーンでの拳銃パフォーマンスといい、全速力で走る姿といい、顔よりも動きの美しさに見とれます。

この映画を論じる人の中には、ローリーをファム・ファタールの典型のように言う人がいますが、典型的なファム・ファタールは自分ではあまり動かずに、男を誑して犯罪を犯させます。しかしローリーはあくまでもバートと一心同体で、彼をだまそうとは決して考えていません。

実際のボニー・パーカーがどういう人物だったか詳しくはわかりませんが、ローリーのようなキャラクターを生み出す元になるものがあったのは確かかと思います。

 

俺たちに明日はない(1967年 原題:Bony and Clyde)

一般的には、映画でボニーとクライドといえば、この作品がまず挙げられます。興行的にもメディアの評価の点でも大成功を収めた作品であることはもちろんですが、タイトルからしてボニー&クライドですし、内容も史実にある程度沿っています(忠実とまではいきませんが)。

しかし監督のアーサー・ペンはこの映画をドキュメンタリーふうに撮ってはいませんし、アクションたっぷりの犯罪映画にする気もなかったようです(銃撃戦のシーンや有名なラストの銃殺シーンはとても迫力がありますが)。

私の印象では、この映画はやはり青春映画なのだと思います。

この映画はいわゆる「アメリカン・ニュー・シネマ」の劈頭を飾る作品として知られています。そしてアメリカン・ニュー・シネマとは、乱暴な言い方をすれば、どんなジャンルの映画も青春映画にしてしまう運動だったように思えます。

青春映画といっても、イコール年齢的な意味での若者を主人公にした映画というわけではありません。ポール・マザースキーの映画「ハリーとトント」の主人公であるおじいさんも、街をさまよい、人と出会うということでは若者と同じです。

「青春」というのは、ボニーとクライドやブッチとサンダンスのような名のある悪党であっても、私たちと同じような普通の人間だったのであり、いつでも不完全で成熟しきれないところがあって、いろいろなことで悩み、喜び、悲しみ、怒りながら生きていたのだということです。

そして青春映画としてのアメリカン・ニュー・シネマとは、そういう普通の人間たちを「等身大」に描こうという運動だったのではないかと思います。アメリカン・ニュー・シネマに先立って、ヌーベルバーグのように世界のあちこちで若い世代の映画作家たちが先行世代の紋切り型に反抗し、新たなリアリティの表現を追い求めましたが、アメリカン・ニュー・シネマの作家たちにとっては「等身大」というのが追求するべき新たなリアリティだったのではないかと思います。そしてそのことがアメリカン・ニュー・シネマに属する一連の映画の「良さ」でもあり「つまらなさ」でもあったと私は感じています。

俺たちに明日はない」はあまりにも有名な作品なので細かい解説はしませんが、この作品もまたアメリカン・ニュー・シネマ特有の「良さ」と「つまらなさ」を兼ね備えています。その点でやはり、この映画はアメリカン・ニュー・シネマの原点であるとともに代表作でもあるのだと思います。

そして、この映画もまたボニーを演じるフェイ・ダナウェイが魅力的です。冒頭の裸のシーンは正直なところあまりいいとは思わないのですが、短いスカートで生足を見せながら機関銃を打ちまくる姿はとてもセクシーです。もっとちゃんと映してくれればいいのにとも思います。

フェイ・ダナウェイはデビューして間もないうちにこの映画の成功で大物になりすぎてしまい、大作映画や巨匠の晩年の作品のオファーばかり受けてしまって、結局は作品に恵まれなかったような気がします。好きな俳優さんだけに残念です。

 

銃、車、男女の逃避行、2人を追いかける警察、騒ぎ立てる新聞、家族や親しい人とのつかの間の再会の後の悲劇的な結末。

これらが上記3作に共通して登場するモチーフなのですが、ストーリーの違いによって、それぞれのモチーフの持つ意味が全く異なっています。同じ題材でそういう違いが出るところも、映画の面白さだなあと思います。

 

――

 

俺たちに明日はない」の中で、ボニー・パーカーが作ったといわれる「ボニーとクライドの物語」という詩が朗読されますが、この詩をもとに作られたのが、セルジュ・ゲンズブールブリジット・バルドーのデュエット曲「ボニーとクライド」です。

今回はこの曲でお別れです。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。


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