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浦山桐郎「太陽の子 てだのふあ」

 

浦山桐郎監督といえば、日活出身の映画監督で「キューポラのある街」「私が棄てた女」「青春の門」など、作品数は少ないのですが、亡くなって30年以上経った現在でも評価の高い人です。

吉永小百合大竹しのぶなどの大女優を育てたとよくいわれますが、その一方で、あまりにも厳しい演出のために自殺未遂をおこした女優もいて、今ならパワハラ監督といわれて、映画界を干されていたかもしれません。

 

この浦山桐郎が1980年に撮ったのが「太陽の子 てだのふあ」です。

原作は灰谷健次郎のベストセラー、テーマは沖縄です。ただし舞台は神戸で、主人公の「ふぅちゃん」という女の子は神戸生まれの神戸育ち、物語が始まった時点では沖縄に行ったことがありません。

ふぅちゃんの両親は沖縄出身(お父さんは八重山諸島波照間島、お母さんは沖縄本島首里)で戦争体験者ですが、沖縄がまだアメリカの統治下にあったときに神戸に渡り、沖縄料理店「てだのふあ沖縄亭」を営んでいます。

 

オープニングタイトル前の、ふぅちゃんとお父さんが散歩をするシーンで、こんなセリフのやり取りがあります。

 

お父さん「そやからお父さん、ときどき、波照間の青い海と、大きな真っ赤な太陽を思い出して、それでええのや、ふぅちゃん」
ふぅちゃん「どんな色の海?」
お父さん「口では言えんなあ、あの青さは」

 

このシーンのお父さんのセリフはとても重要です。

というのは、この映画が「青」と「赤」の2色が織りなす「口では言えん」の映画だからです。

「青」の中の「赤」

実際、この作品では終始、青と赤の2つの色が何らかの形で対比されています。オープニングタイトルからして、青い空や海を背景に赤い文字、という配色になっています(監督の名前のところだけ、真っ赤な夕日が背景ですが)。

また「てだのふあ沖縄亭」の暖簾が青・濃紺・赤の3色ですし、店内をよく見ると、昭和の食堂には欠かせない、醬油とソースの容器セットが赤と青だったりします。

そもそも、この映画は画面のトーンが(回想シーンおよび終盤のいくつかの例外を除いて)全体的に青みがかっています。その上、屋外の昼間のシーンは常に空が晴れていて真っ青ですし、もちろん神戸も沖縄も海がある土地ですから、景色の中にはしょっちゅう青い海が映っています。

そして、この青が基調となっている画面の中に、さまざまな赤が映り込んでくるのです。特に前半はそういうシーンが多いように思います。

それらの「赤」の中でも繰り返し表れるのは、以下のものです。

 

①ふぅちゃんの服

この映画の前半部分で、ふぅちゃんは大抵のシーンで赤い上着を身につけています。前述の散歩のシーンでは真っ赤なパーカーを着ていますし、白いセーターの上に赤いエプロンをつけているシーンもあります。それ以外では、赤いタートルネック、赤い半纏といずれも色が鮮やかで目につきます。

そして下にはだいたい真っ青なデニムのパンツを履いています(オーバーオールを着ているシーンもあります)。

例外は体操服ですが(1980年の映画なのですが、ふぅちゃんは小学校の女子サッカー部に所属しています!)、左胸についている校章は青、ソックスは赤です。

これに対し、ふぅちゃん以外の登場人物の多くは青い服を着ています。特に「てだのふあ沖縄亭」に集まる常連たちはほとんどが青い服を着ています。お父さんとお母さんも、特にお父さんがそうです。ですから、店内のシーンは青だらけの中にポツンと赤いふぅちゃんが立っている、というふうにも見えます。

また、主要人物の一人で「キヨシ」という、最初は不良だったのですが、ふぅちゃんたちと交流するうちに心を入れ替える沖縄出身の少年も、腕が白で他は紺色のスタジャンを着ています。

 

しかしふぅちゃんも、小学校を卒業したあたりで上着が白か青になってきます。赤を着ていても、濃紺(黒かもしれないのですが、画面が青みがかっているので濃紺に見えます。前述の暖簾も同様です)のセーターの下に赤いシャツの襟が見えるだけです。

そして中学に入学すると、制服は紺、スポーツバッグは青です。普段着は白が多いのですが、画面のトーンにより青みがかって見えます。

もしかするとこれは、ふぅちゃんの成長を表しているのかもしれません。小学校の卒業が節目になっていますし、話し方や表情も大人っぽくなっているようにも見えるので、服装もそれに合わせている可能性はあります。

そしてこの場合のふぅちゃんの成長とは、単に年齢や進学ということだけでなく、沖縄の人々の苦しみを知ることによる人間的な成長でもあるのでしょう。

 

ちなみに、ふぅちゃんの服ではないのですが、夜の神戸駅の改札でのシーン(やはり青っぽいです)で、真っ赤なコートの女性が通り抜けていくところがあります。

顔も見せない、全く無関係な人物なのですが、それだけにこのシーンを見ると、この映画における青と赤の対比が意識的であるどころか、監督のこだわりだったのではないかと思えてきます。

 

②日の丸

この映画では日の丸が、私が気づいた限りで5回出てきます。

まず序盤のシーンで、キヨシが「ギッチョンチョン」と皆から呼ばれている、沖縄生まれで神戸の港で働いている若者の上着からお金を盗んで逃げていく道沿いに、大きな日の丸が掲げられていて、画面の下に「建国記念日」と字幕が入ります。もっとも日の丸が日陰に入っているため、赤があまり際立っていません。

次はお父さんとお母さんが駆け落ち同然の形(沖縄の中でも八重山諸島などの「先島」の人たちは差別を受けていたということが暗示されているのでしょうか)で沖縄を去ったときの回想シーンで、神戸行きの船を待つ港の待合所に東京オリンピック(もちろん1964年のです)のポスターが貼ってあります。

ここからしばらく出てきませんが、後半の中頃くらいに中学校の入学式のシーンがあり、校長がスピーチする背後に、赤いカーテンと日の丸。このカットは珍しく画面内の赤の分量が多いため目を引きます。

そして失踪したお父さんを探していたふぅちゃんとキヨシが商店街(再び通り沿いに日の丸が掲げられています)を通り抜けるシーン。タバコ屋の店内に置かれたテレビがズームアップされると、昭和天皇天皇誕生日(現在の昭和の日)に行われた一般参賀が映っていて、天皇・皇后に向かっておおぜいの人が日の丸を振っています。

そしてラストシーン。波照間島の南端(日本の最南端でもあります)にふぅちゃんがやって来ると、海辺に高々と日の丸が掲げられていて、夕映えの中に翻っています。

 

浦山桐郎がこの映画を作るにあたって、沖縄と日本の関係に意識的だったことは間違いありません(もちろん原作もそうなのでしょうけど)。そしてその関係についてネガティブに考えていたのも確かでしょう。

しかし上記の一つ一つのシーンに出てくる日の丸に、何か具体的な意味づけがあるのかというと、そういうことでもないんじゃないかと思います。

ただ強いていうなら、この映画ではあくまで日本にとって沖縄とは何であったか、何であるのかを問うている、ということなのかもしれません。

実際、キヨシの母親がAサインバーでアメリカ兵相手に体を売っていたり、本土復帰運動やコザ騒動も取り上げられていて、アメリカによる統治や基地の問題に触れていないわけではありません。しかし全体的に見れば、それらの問題は後景に退いてみえます。そして、私の観点からは不思議なことといえるのですが、この映画には星条旗が出てきません。

 

それから気になるのが、校長のスピーチです。ゲーテのこんな言葉が引用されます。

「最初のボタンを掛け損なった人は、最後のボタンを掛けることができない」

意味もなしにこの言葉を選んだはずがないと考えると、日本は沖縄に関して、始めからボタンを掛け違えていたのではないか、と問うているようにも思えてきます。その始めというのが沖縄戦なのか、もっと前なのかはわかりませんが。

 

③血

お父さんは戦時中、波照間島から西表島への強制疎開の際に両親を戦争マラリアで失います。そして沖縄戦の際には本島の戦場に駆り出されます。

前半のハイライトといえる回想シーンで、爆撃のさ中にケガを負った少年時代のお父さんを、大竹しのぶ演じるひめゆり学徒の一人が救い出します。そして彼女たちとしばらくの間、島の南端の崖に身を潜めているのですが、連合軍の兵士が現れると、「死ンジャダメ!」という呼びかけにも関わらず、彼女たちは手榴弾で自決し、その一部始終を見ていたお父さんは、自分の手榴弾を握りしめながら泣き続けます。

以上のシーンはずっと白黒なのですが、最後に大竹しのぶが倒れているカットで白黒からカラーに変わります。そしてその死体の肩から背中にかけて、べったりと赤い血がついています。

 

後半には、キヨシがかつての不良仲間たちと喧嘩するシーンがあります。さすがに監督がアクション映画を売りにしていた日活出身だけあって、なかなか迫力があります。

キヨシは最初、自分からは殴らず、やられっぱなしのまま耐えます。頬はべったりと血で濡れて(上の写真のように、大竹しのぶと倒れる向きが同じです)、それでもこらえていたのですが、「やっぱり沖縄もんは…」と嘲られると、とうとう耐えきれなくなり、近くにあった石をつかんで反撃に出ます。

 

どちらの赤い血も、単に2人の人物が流した血というだけでなく、戦中にしろ戦後にしろ沖縄人が沖縄人であるがゆえに流したすべての血を象徴していると思います。

キヨシの喧嘩のシーンの後で「ロクさん」という、お店の常連の一人が、沖縄戦の経験を語るシーンがあります。詳しくは後述しますが、彼は非常に酷いことを強いられた上に集団自決まで強制され、生還はしたものの右腕の先を失いました。

ここには回想シーンが入らず言葉だけなのですが、ロクさんの生々しい話を聞くだけで、すでにひめゆり学徒とキヨシが流した血を見ている私たちは、彼の腕の先から迸ったに違いない血の赤もまたすでに「見て」いるのだ、といえます。

 

そういえばこの映画の前半部分で、お母さんがふぅちゃんについて「女の体になったばっかりやからねえ」とお店の常連の一人(殿山泰司!)に話すシーンがあります。

つまりふぅちゃんは初潮を迎えたばかりということですが、初潮という字には「潮」が含まれている…。もちろんこれは偶然でしょうが、偶然も作品の一部だと思います。

ちなみにこれよりもっと前に、ふぅちゃんが喧嘩の巻き添えになって転び、鼻血を出すシーンがありますが、このシーンを初潮と関連付けることもあながち無理なこととは思いません。

 

その他にもポートタワーや、お父さんが暴れるシーンに映る造花や、本土復帰運動のデモ隊の赤い旗など、いくつも出てきますが、このような「青」の中への「赤」の出現、あるいは「青」と「赤」の対比のすべてに共通するような意味が何か存在するのだろうか、と考えますと、そこまではないんじゃないかと私には思えます。

ただこれらの「青」「赤」の戯れ合いが映画の中の「意味」とも戯れ合う、という運動がこの映画を形作っているとはいえると思います。しかもそれがすべて冒頭のお父さんのセリフを端緒としている、というのがこの映画の面白いところだと私は思っています。

 

語りえない「傷」、語りうる「アイデンティティ

(ここから先はネタバレを含みます。もっとも、結末を知ったらつまらなくなるというタイプの映画ではないと思うのですが)

 

この映画は、お父さんのトラウマをめぐる話です。

 

冒頭の散歩のシーンで「お金持ちの女学校」(神戸山手女子高?)の校舎から、♪ ふ~けゆく~、あ~きのよ~、と学校唱歌の「旅愁」が聞こえてきます。その途端、お父さんは頭を抱えて悶え苦しみます(このときの効果音や身振りが、どうも当時の怪獣ものや変身ものっぽいのですが…)。

我に返ったお父さんにふぅちゃんは「波照間に帰りたいの?」と尋ねます。「旅愁」に「恋しやふるさと、なつかし父母」という歌詞があるので、お父さんが懐郷の念にとらわれたに違いないと思ったのでしょう。しかしお父さんはきっぱりと「帰りとうない」と言って、前編の冒頭に引用した2人のやり取りが続きます。

そしてこれ以降、お父さんは心を病んで、具合を悪くしてしまいます。

 

お父さんの「発作」の原因は、先に触れた沖縄戦の回想シーンで明らかになります。ひめゆり学徒たちは自決の直前に、高校の制服に着替えて「旅愁」を泣きながら合唱したのでした。

しかしお父さんはこのことを娘には伝えません。どうやら周囲の誰にも、お母さんにさえも話したことがないようです。

心配したふぅちゃんはお父さんの心を癒そうと、植物園でもらってきたソテツやアダンを使って玩具をたくさん作り(「草花遊び」という沖縄の伝統文化のようです)、お店の常連たちや学校の担任も招いて、お父さんを励ますパーティーを開きます。

この席で、ギッチョンチョンはふぅちゃんの小学校の担任に、お父さんやロクさんは沖縄戦で大変な目にあったらしいのだが、具体的に何があったかについては「だんまり」なんだと話します。

 

ロクさんは前にも少し触れたように、後のほうのシーンで自身の体験を語ります。

喧嘩の際のケガで入院したキヨシをふぅちゃんとロクさんが見舞いに行くと、病室に刑事が2人来ています。札付きの不良だったキヨシが喧嘩の相手にも大ケガを負わせているということで刑事たちの態度は厳しく、見かねたロクさんが擁護すると、刑事の1人(大滝秀治が非常に憎たらしく演じています)が、キヨシくんはあなたたちの「郷土愛に甘やかされた」からこんなふうになったんだろうと言い、「法の前には沖縄もクソもない、皆平等だ!」と声を荒げます。

この言葉にカチンときたロクさんは上着を脱ぎ、手のない右腕を見せて(ロクさんを演じているのは、実際に戦争で腕の先を失った沖縄出身者です)、防空壕の中で「泣かれたら敵に見つかるから」と日本兵に命じられてわが子の首を絞めて殺したこと、さらには自身も自決を強要され、命は失わなかったものの腕の先を失ったことを語ります。

ロクさんが言っているは、端的にいえば、郷土愛だの平等だの、わかったふうなこと言うな、ということだと思います。

つまりロクさんは、刑事たちにコミュニケーションを求めているのではなく、観念ではどうにもならない(命令されたとはいえ、わが子を殺したことへの罪悪感もあるでしょうから、善悪でも割り切れない)、重い事実をただ突き付けているだけなのです。そして彼の負った傷は、そういう形でのみ言葉になりうるのだと思います。だから普段は、沖縄戦のことを語ることがないのでしょう。コミュニケーションの言葉としては語りえないからです。

 

一方、お父さんは最後まで自分の体験を他人に語りません。

ただし映画の中でお父さんはときどき、小さなメモ帳に「モシ自分ニ勇氣ガアッタラ女学生ハ死ンデイナカッタカモシレナイ 勇氣トハ何ダ」などと、自分の思ったことを書き付けます。

これは映画という形式の中でメモ帳に書くという演出になっていますが、機能としてはお父さんの心の中での独り言(内語)を表しているのだと思います。私は実は原作を読んでいないのですが、もしかすると原作ではほんとうにお父さんの内語として書かれている言葉なのかもしれません。

実際、沖縄戦の回想シーンに「アレハ地獄ノヨウナ毎日……」などと同じ筆跡の文字が出てきますが、これは明らかにメモ帳に書いているのでなく(お父さんは発作が高じてよその家で暴れてしまい、留置所に入れられています)、お父さんが思い出しながら考えていることです。

お父さんはそういうふうに自分の体験を自分に対してのみ開示します。なぜ他人に(おそらくお母さんにも)打ち明けないのか。先ほどの「モシ自分ニ…」という言葉が示すように自責の念もあるのでしょうが、むしろその記憶がロクさんの腕と同じように心に刻まれた外傷(トラウマ)であって、他人と共有しがたいものだからだと思います。こちらもまた、コミュニケーションの言葉としては語りえないものなのです。

注 この映画および原作が作られたころは、まだトラウマやPTSDについて一般的な認知は低かったと思います。現代の映画作家なら、お父さんの内語を映画の中に組み込まないかもしれません。

 

この2人に対置されるのが、ギッチョンチョンです。

彼は戦後生まれですから、沖縄戦を身をもって体験してはいません。しかし常に沖縄のことを考えているような人で、彼のアパートには沖縄の写真や沖縄に関する本がいっぱいあり、ふぅちゃんがアパートを訪れると、本を何冊も取り出して沖縄戦の惨たらしい記録写真を見せ、戦争中に沖縄でどんな酷いことがあったかを話して聞かせます。

ギッチョンチョン自身が沖縄人として苦労を体験していないわけではないのでしょうが、彼は語るのはだいたいにおいて「ウチナンチュの苦労」という一般化されたものです。例えば沖縄の人が本土に来ると言葉で苦労するという話も、自分の苦労話をするのではなく、本土に来た沖縄の人はみんなそうで、それを苦にして自殺する人もいるんだ、というふうに語ります。それに対して聞き手が、死んだ奴がアホじゃ、と答えると、ギッチョンチョンはカッとなって相手に殴りかかります。

つまり彼は沖縄人としての強いアイデンティティを持っていて、そのアイデンティティが彼に沖縄の歴史や同胞たちの苦しみを語らせ、相手に理解を求めるのです。しかし理解を拒まれると、どうしても感情的になり喧嘩になる…。

もちろん、お父さんやロクさんも沖縄人としての強いアイデンティティをもっています。しかし2人がそのアイデンティティから話す場合も、やはり沖縄の人間は…、と一般化した言い方になります。ロクさんが刑事たちに語るシーンでも、最後は沖縄人全体の苦しみに話が移っていきます。

沖縄人としてのアイデンティティは「私たちウチナンチュ」について、熱く、とうとうと言葉を紡ぎ出します。それに対して沖縄戦で心や体に負った傷は、沖縄人であるが故に負ったものとわかっていてもやはり「私」のものなのであり、一般化できずに言葉の手前で留まります。そして他人に対してはせいぜい「それがある」ということを突きつけうるのみだ、ということなのだと思います。

 

話をお父さんに戻します。

後半に入って、ふぅちゃんとお母さんは、岡山県の的形という町でお父さんの姿を見かけた人がいると聞き、お父さんの釣り仲間でもあるお店の常連の一人(演じているのは知名定男で、私はこの文章を書くために細かいことを調べる中で知ったのですが、沖縄ポップスのパイオニア的な人です。映画の中でも何度か三線を弾き、いい声を聞かせています)の案内で、的形に行きます。

そしてお父さんが立っていたらしい場所にやって来ると、そこから見える岬の形が沖縄本島南部の崖に似ていることを知名定男が指摘します。ここでやっと、お父さんの心の病の原因が戦争の記憶であることを登場人物たちが理解します。

しかしお母さんは、それでも故郷がお父さんの心を癒すに違いないと考えます。そこで波照間島に住むお父さんのいとこに手紙を書きます。そしてとうとうお父さんは一時的に帰郷することになります。

ふぅちゃんもそのことを喜び、お父さんを六甲山の天狗岩へ連れていって「旅愁」を歌って聞かせるのですが、お父さんはどうも浮かない顔です。

そして結局、夜中に発作を起こしたお父さんは港へ…。失踪したお父さんをふぅちゃん一家とキヨシが夜を徹して探しますが、翌朝になって遺体が海で発見されます。

 

この悲劇的な結末においてもやはり「傷」と「アイデンティティ」の断絶が見出されるように思います。校長のスピーチにあった「ボタンの掛け違え」の話は、もしかするとこの結末をも暗示していたのかもしれません。

しかしだからといって、故郷という観念や沖縄人としてのアイデンティティとかいったものは単純化に陥りがちで、かえって真実を歪めてしまうものだ、と言っていいかというと、そういうことでもないと思います。少なくとも監督の浦山桐郎はそんなふうに考えてはいなかったはずです。

ただ、自殺したお父さんの心の中に、誰にも語りえず、何ものによっても癒しえない何かがあったはずだと浦山桐郎は考えていただろう、とは思います。というのも、実は浦山桐郎が19歳のときに彼の父が自殺していて、この映画はその父への思いを反映しているのだという話があるからです。

この映画の演出助手には「ゆきゆきて、神軍」などで知られるドキュメンタリー監督の原一男が名を連ねています。彼は浦山桐郎の家族や仕事の関係者などへのインタビューをまとめた『映像に憑かれて 浦山桐郎』という本を出しているのですが、その中で、この映画のお母さん役を演じた大空真弓がロケ中に監督からそういう話を聞いたと証言しています。また、浦山桐郎の弟さんも、甥が「おじいさんにそっくりじゃないか」と言って原作を持って行ったのが、この映画を作るきっかけだったと語っています。

原一男には、一般論として「自殺っていうのは、ほんとうのことは分からないもんだよ」と言っていたそうです。この映画の原作は「知る」ことの大切さを訴えているようなのですが、映画のほうはむしろ「分からない」ということを描いている、というのもちょっと面白いと思います。

 

「見る」ことの共有

前述のようにふぅちゃんは、後半に入ると赤いものを着なくなります。それにつれて、他の赤いものも出現頻度が減り、青みがかった画面がアクセントを失って単調になるのですが、そんな中にキヨシの喧嘩のシーンでの出血があり、日の丸と赤いカーテンを前にしての校長のスピーチがあります。つまり、ポツリポツリと現れる「赤」がより象徴的な意味を強く感じさせるようになっていきます。

そして、失踪したお父さんを探していたふぅちゃんたちがいったん集まるシーン。このシーンでは町が朝焼けに染まり、今までずっと青みがかったトーンだった画面が初めて赤らんだトーンになります。

このシーンの後、ふぅちゃんとキヨシは的形に向かいます。しかしここにでもお父さんは見つからず、諦めたキヨシが真っ赤な公衆電話でふぅちゃんの家に連絡し、遺体が見つかったことを知ります。赤電話は当時の公衆電話としてはオーソドックスなものですが、今までの流れから見ればやはり象徴的です。

ふぅちゃんとお母さんは、お父さんを故郷で弔うために波照間島にやって来ます。島の風景で目を引くのは、生い茂る草木の緑です。そして、その向こうに広がるのは神戸の海と全く異なる、深い青…。

緑はもちろん神戸の風景の中にもあちこちに見えてはいますが、ほとんど目に留まることがありません。例外は植物園のシーンと、そこでもらったソテツやアダンで作った玩具を披露するシーン、そしてお父さんが沖縄の女性たちの姿を思い起こすシーンです。

つまり、青は神戸と沖縄で(色合いは違うものの)共有されていますが、緑は沖縄のみに結び付けられています。

 

そしてラストシーンです。

白いワンピースを着たふぅちゃんが濃厚の緑の草原を抜けて一本道に出ると、海に向かって笠をかぶった人が歩いています。ふぅちゃんが足を止めるとその人が横を向く…。

「お父さん!」

驚いたふぅちゃんは駆け出しますが、お父さんは姿を消します。それでもふぅちゃんは立ち止まらず、海に向かって走り続けます。

陽は沈みかけ、画面は今度は夕焼けに染め上げられます。

辿り着いた海辺は、前にも触れましたが、日本の最南端で、高いポールのてっぺんに日の丸が翻っています。ふぅちゃんは「日本最南端」と記された石碑に顔を伏せて、泣きじゃくりながら叫びます。

「お父さん、ほんとのことを、言うてほしい、おとうさん」

 

ところで、このとき彼女の前に広がっているのは、冒頭でお父さんが語っていた「青い海」と「真っ赤な太陽」です。お父さんが、それを思い出すだけでいいんだ、と言っていた風景です。

注 ただし残念ながら、太陽が真っ赤だと海は青く映りません。もっともふぅちゃんが走り始めたときには、まだ日が高く、海は真っ青です。スタート地点から海辺までそんなに遠いようには見えないので、時間的におかしいといえばおかしいのですが、私の観点からだとおかしくないのだということになります。

歴史によって負った「傷」は語りえないがために共有できなくても、自然のこの風景なら、あるいはこの風景を「見る」という体験なら共有できる、ということなのだと私は思います。

 

そして、映画を観るということもまた「見る」ことの共有です。私は映画を観るのはほとんどDVDによってなのですが、たまに映画館で観るときは、今ここにいる人たちと一緒に観ているという感覚を強く持ちます。ちょっとした共犯関係にあるような気さえすることがあります。

そしてまた、登場人物と観客さえも魔術的に「見る」ことを共有する…。映画とはそういうものなんじゃないか、と思います。

 

――

 

この映画を最初に観たのはもうだいぶ前のことなのですが、そのときからこの映画の中の青と赤の対比がずっと気になっていました。

たまたま先月からブログを始めたので、ついでに書いてみようと思いつき、とうとう考えを具体的な形にすることができました。自己満足でも充分なのですが、これを読んでちょっとでも面白がってくれた人がいたならうれしいです。

 

 

 

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