キンシャチ
今回のデザインは「サボテンの王様」キンシャチです。
キンシャチはつまり金の鯱ですが、名古屋原産ではなくメキシコ原産です(当たり前です)。
鑑賞用としてよく見かけますが、野生のものは絶滅危惧種なんだそうです。
観賞用のものは植木鉢に乗っかってるイメージが強いですが、最大で高さ1メートルまで育つものもあるらしいです。
トゲも比例して成長するのでしょうから、凶器になります。
今回使用した絵は、19世紀の植物学者・植物画家シャルル・アントワーヌ・ルメールの著書『サボテン図説』からの1点です。
この絵では花が咲いていますが、キンシャチの花が咲くのは、種をまいてから20年以上経ってからとのこと。確かに花が咲いたものは見た覚えがありません。一度見てみたいです。
サボテン好きの方はもちろん、きれいな絵だなあと思った方は、TシャツトリニティのHungry Freaksをぜひ覗いてみてください。
SFといえば
今週のお題「SFといえば」
5歳の「神童」が著した宇宙誌
河出文庫から出ている『中国怪談集』(中野美代子・武田雅哉編)に、「宇宙山海経」という文章が載っています。
著者は江希張という人で、1911年生まれ。この文章を含む『大千図説』全3巻が出版されたときは満5歳で、「1,2歳で字を読み、3,4歳で文を書き連ね、5,6歳で道教、仏教、キリスト教、イスラム教の各教典に注釈を施し」たと、編者の解説にはあります。
文章の内容はといいますと、この「神童がかいま見た、全宇宙のカタログ」とのことで、決してフィクションとして出版されたものではありません。
例えば金星には「人類が生息しており」「かれらは翼を持ち、五里以内の空中を飛行することができる。水に入っても死なず、火に入っても焼かれない。体は紙のように軽く、言語は蜂に似ている」のだとか。
太陽系では水星から土星までに、さまざまな生態をもった人類がいるとされています。また北極星系、南極星系の各々に属する星々についても、気候や地理的環境、そこに生息する人類などに関して、図版入りで簡潔な解説が記されています。
つまりは、著者の経歴も文章の内容も明らかにでたらめなのですが、ただのでたらめに留まらぬ、とてつもない想像力に驚かないわけにはいきません。
SFには「センス・オブ・ワンダー」が必要だとよくいわれますが、これぞまさに「センス・オブ・ワンダー」だと思います。
日本人が知らない「日本」
『中国怪談集』にはもう1編、「台湾(フォルモサ)の言語について」という文章も載っています。
著者はジョージ・サルマナザールと名乗る自称台湾人で、17世紀末にヨーロッパに渡ったとされています。
この文章は、18世紀初頭にロンドンで出版された『台湾――日本皇帝の支配下にある島――の、歴史および地理に関する記述』(歴史戦の人たちに見せるのはヤバいタイトルです)を構成する章の一つとのことで、こちらも決してフィクションとして世に出たものではありません。
主に台湾の言語について、文字、文法、用例などがかなり細かく記されているのですが、それと比較する形で日本語についても解説されています。
しかしそれが、どう考えても、私たちの知っている日本語ではありません。
男性名詞・女性名詞・中性名詞の区別があるとか、文字の連なりが右向きになったり左向きになったりしてカーブを描く「リバナトヒム」なる表記法があるとか…。
また、こんな一節もあります。
「日本人というのは、反乱をおこして中国から追放された人びとが、日本という島に定住した者たちなのである。だから、彼らは中国人を非常に憎んでいて、そのために、中国人と共通するあらゆるものごとを変えてしまったくらいである。彼らの言語、法律、宗教、習慣などなどを、である」
もちろんこちらの文章も、台湾に関する記述を含めて、すべてでたらめなのですが(著者の正体は詐欺師だったともいわれています)、あまりにも本当らしく書かれているため、読んでいるうちに、もしかするとこれはでたらめなのではなく、実在するパラレルワールドの日本なのではないか…と思えてきます。結構ゾッとします。まさに「怪談」であり「SF」です。
ちなみに『台湾――日本皇帝の支配下にある島――の、歴史および地理に関する記述』の全訳が、昨年平凡社ライブラリーより『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』というタイトルで刊行されています。
平凡社のホームページによれば、この書物は『ガリバー旅行記』にも影響を与えているのだとか。そういえばガリバーは来日していて、江戸で「日本の皇帝」に謁見しています。
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ほんとうの「バカ」とは?
1991年、あるCMが話題になりました。
川べりの土手に桃井かおりさんがしゃがんでいて、視聴者に向かってこっそり同意を求めるように話しかけてくる…。
「世の中、バカが多くて疲れません?」
このCMが放送されると、たちまち苦情が殺到したそうです(「炎上」なんて言い方はまだありませんでした)。
「他人を「バカ」呼ばわりするとは何事か」みたいな内容が主で、自分が「バカ」といわれてる気がする、という人も多かったとか。話しかけている相手を「バカ」とは言っていないはずなのですが…。
ともかくそういう次第で、CMの放映はすぐに中止されました。
ところがしばらく経ちますと、またCMの時間帯に同じ風景が現れて、同じ姿勢の桃井かおりさんが同じ服装、同じ表情で「世の中…」と話しかけてきます。
「世の中、お利口が多くて疲れません?」
当時、実はCMの制作者たちが苦情の来ることを見越して、最初から「お利口」のバージョンも作っていたのだ、という話を聞いた覚えがあります。
これは噂に過ぎなかったようですが、たとえほんとうの話だったとしても不思議ではないほど、このやり返しは鮮やかでした。
つまり、「お利口」と「バカ」は表裏一体、ということなんだと思います。
それにもかかわらず、これは経験的にもいえることですが、「お利口」ほど「バカ」と呼ばれることを嫌います。そして自分の愚かな言動に気づかず、他人の愚かさにばかり敏感だったりします。
おそらくほんとうに「賢い」人というのは、自分自身も含めてどんな人間も大なり小なりバカである、ということを当たり前のことと理解して、そのことを前提として世の中を生きているのではないでしょうか?
もっとも、人間の愚かさを巧みに利用して利益を分捕ろうという「悪賢い」人もいますから、賢けりゃいいというわけでもないようです。
それにどんな賢い人も、よっぽど器の大きい人でない限り、ときには「お前ら、どいつもこいつも大バカだ!」と怒鳴りたくなることがあるのではないでしょうか? 自覚していたはずの自分自身の愚かさによって。
いっそのこと「バカ」を目指してみてもいいのかもしれません。
ただし「お利口」と表裏一体の「バカ」ではなく、純粋な「バカ」、ほんとうの「バカ」です。
アントニオ猪木さんも「馬鹿になれ!」と言っています。ほんとうの「バカ」とは「なる」べきものであって、必ずしも今の自分がすでにそうであるような「バカ」ではないと思います(必ずしも、というのは、生まれながらの非の打ち所のない「バカ」も世の中にはいるからです)。
…なんて小賢しいことを言っている限り、ほんとうの「バカ」にはなかなかなれないのでしょうけど。
猪木さんの「馬鹿になれ!」は英訳するなら、"Be fool!" ではなくて、"Freak out!" がふさわしいと思います。
"Freak out" といえば、デビッド・ボウイやレディー・ガガをはじめ、日韓も含めたたくさんの国の歌い手がこの言葉を歌っています。
しかし何といってもフランク・ザッパでしょう。彼が率いるマザーズ・オブ・インヴェンションの1stアルバム "Freak out!" を忘れるわけにはいきません。
そして、このアルバムの1曲目は…、"Hungry Freaks, Daddy"!
Hungry Freaksは、世界中の「バカ」たちを応援しています!
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ジャン・ド・ボッシュ
今回のデザインは、ベルギー出身のイラストレーターであり、小説家・詩人でもあったジャン・ド・ボッシュのイラスト2点です。
どちらも女の子を描いていますが、ちょっとあやしげですね。
ビアズリーの影響を強く受けたようですが、線はビアズリーに比べるとあまり流麗ではありません(もっとビアズリーふうな絵も描いているようですが)。
どこか昔の日本のアングラ漫画を思わせるところもあります。
英語版のウィキペディアによれば、若いころに「悪魔崇拝の罪」で告発され、ベルギーを逃げてイギリスにわたったとのことです。悪魔崇拝の罪なんてあったんですね
その後も自分のことを「サタン」と呼んだり、変な奴だったようです。
上記のように小説や詩も書いていたようですが、日本では全く翻訳されていないので、どんな作品を書いていたのか、オカルトっぽいものだったのだろうとは思いますが、詳しいことはわかりません(実は姓もボッシュと読むのがいいのか、ボッシェルと読むのがいいのか、はっきりしません)。
今回使用した絵も、彼の小説「奇妙な島々」のために描かれたイラストです。
好きなタイプの絵だなあと思う方は、TシャツトリニティのHungry Freaksをぜひ覗いてみてください。
芸術における「叫び」
「ひとつの恐怖の時代を生きたフランスの哲学者の回想によれば、人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫びが自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑うということだ。
戦争も、洪水も、ペストも大地震も大火も、人間をみまっていない時、そのような安堵の時にも、確たる理由なく恐怖を感じながら生きる人間が、この地上のところどころにいる。かれらは沈黙して孤立しているが、やはり恐怖の時代においてとおなじく、ひとつの叫び声をきくとその叫びを自分の声だったかと疑う。そしてそのような叫び声は恐怖に敏感なものの耳にはほとんどつねに聞えつづけているのである。かなり以前のことだが、僕もまたその叫び声を聞く者のひとりだった。僕は二十歳で、同じ年頃の二人の仲間といっしょに、若いアメリカ人の家に同居して暮していた。それは僕の《黄金の青春の時》だった」
これは大江健三郎が1962年に発表した小説「叫び声」の冒頭です。引用(サルトルらしいです)を現代の状況へと敷衍してから物語の内へさらりと読者を導き入れていく…、私ごときが言うのも僭越ですが、さすが大江健三郎だと思います。
叫びは見た目的には能動的な行為のようですが、実際には恐怖に対して反射的にほとばしるのですから、むしろ受動的なものといえます。
「叫び声」の主要登場人物である「僕」とその「仲間」たちは、初期の大江健三郎が繰り返し描いた「性的人間」です。大江健三郎の文章「われらの性の世界」によれば、「性的人間」とは「かれにとって本来、他者は存在しない」し「かれ自身、他のいかなる存在にとっても他者でありえない」者たちであって、常に他者と鋭く対立する「政治的人間」と対照されています。
「性的人間」たちは時代の状況に対して受動的であらざるをえません。だから同じ状況にある誰かの叫び声が、常に自分自身の叫び声でもある、ということかと思います。
「叫び声」の登場人物たちが置かれている状況は「同じ年頃の二人の仲間といっしょに、若いアメリカ人の家に同居して暮していた」という設定で象徴されています。つまりこの小説の発表から60年経った今も、私たち日本人は同じ状況を生きているのだ、ということになります。
美術における「叫び」
美術において「叫び」といえば、ムンクの絵があまりにも有名です。有名すぎてさんざんパロディーにされ、なかなか純粋な目で鑑賞することが難しかったりします。しかし目を凝らしてじっと見ていると、まずは中央の人物が自ら叫んでいるのか、他人の叫びに耳を閉ざそうとしているのかが曖昧なのがわかります。
この場合の他人とは誰か? 歪んだ荒々しい線で描かれた背景を見ていると、具体的な誰かが叫んでいるというより、風景そのものが、世界そのものが叫んでいるかにも見えます。中央の人物はその風景に溶け込み、叫びに溶け込んでいるようでもあります。
ところが橋の奥のほうにいる二人に目を移すと、この人物たちはどうも叫びと無関係に見えます(おそらく、二人であるということが重要だと思います)。シルエットではありますが、紳士風の出で立ちか、あるいは制服を着た警官にも見えます。この二人を中央の人物と対比させると、さっきは風景に溶け込んでいた中央の人物が今度は周囲の世界から疎外され、孤独であるがゆえに叫んでいるようにも見えてきます…。
以上は私の勝手な感想ですが、明確な意味づけや焦点化を拒むような不明瞭さが不安感を喚起する、というのがこの絵のポイントかと思います。
ムンクの「叫び」ほどではありませんが、イギリスの画家フランシス・ベーコンの「ベラスケスの教皇インノケンティウス10世の肖像画による習作」も、叫びを描いた有名な作品です(画像はこちら)。
この絵はタイトルにあるベラスケスの作品「教皇インノケンティウス10世の肖像画」の顔だけを、エイゼンシュタインの映画「戦艦ポチョムキン」に出てくる乳母の叫ぶ顔に差し替えています。描き方はベラスケスのように明快ではなく、不気味な雰囲気が画面を覆っていて、上下に走る線が落下しているようにも、昔のブラウン管テレビが消えるときのようにも見えて、今すぐにでも教皇の姿が消失しそうな印象があります。電気椅子に掛けられた死刑囚にも見えます。
作者はこの絵について、表現したかったのは恐怖や不安といった感情ではなく、叫びそのものだったのだと言っているようです。だいぶ前にフランスの哲学者ジル・ドゥルーズがベーコンについて書いているのを読んだことがありますが、この絵の叫ぶ口は機能性をもたない穴であるみたいなこと(「器官なき身体」ってやつですね)が書いてあったような覚えがあります。
ベーコンの絵は一見表現主義的ですが、感情とか内面性とか人間性とかとは無縁なところで人間を描こうとしていたように思われます。そして、つい人間主義的に絵を見てしまう者にはそれがかえって残酷さや恐怖感として感じられるのかもしれません。
音楽における「叫び」
音楽で「叫び」となると、クラシックでは、20世紀の作曲家アルバン・ベルクのオペラ「ルル」で最後に主人公のルルが上げる叫び声が印象的です。
あの声の音程は楽譜で指示されているのか、他にも叫び声が入るオペラがあるのか、私は詳しくないのでよくわかりませんが、ヴェデキントの戯曲を元にした退嬰的なストーリーと不気味に揺蕩うような音楽が叫び声で締めくくられるのを最初に聴いたときは、ぞくっとしました。
黒人音楽やロックでは、叫ぶような歌い方、つまりシャウトが技巧としてあります。
個人的にはやはり、ジェームズ・ブラウンやジャニス・ジョプリンあたりのシャウトがびりびり来ます(趣味が古くてすみません)。日本だと、フラワー・トラベリング・バンド時代のジョー山中がうまかったと思います(やっぱり古い)。あとはカルメン・マキとか(やっぱり…)。
ロックでは、技巧としてのシャウトにとどまらない「叫び」もあると思います。
例えば、ドアーズの "The End" で、「お父さん。何だい。僕はあんたを殺したいんだ。お母さん、僕はあんたを…」と言った後に、Hold onと言ってるのか、何と言っているのかよくわからない、あの叫びなんかは印象的です。
あとはオノ・ヨーコの "Don't Worry Kyoko" で、Don't Worry~と繰り返し叫ぶのも強烈です。
映画における「叫び」
映画には、叫ぶシーンを含むものがたくさんあり、挙げていくとキリがありません。
YouTubeで、アメリカ映画の「絶叫」シーン(観客が叫ぶのではなく、登場人物が叫ぶシーン)を50本集めた動画を見つけました。
「サイコ」や「シャイニング」のような古典中の古典はもちろん、「ホーム・アローン」のようなコメディーや「キル・ビルVol.2」のようなアクション映画の「絶叫」シーンも含まれています。怖い場面とかが苦手でなければご覧ください。
私が個人的に好きなのは「蠅男の恐怖」のHelp me~!と叫ぶシーンと「SF/ボディ・スナッチャー」の指差し絶叫シーンです。しかし上の動画を見て思ったのですが、「SF/ボディ・スナッチャー」のこの有名なシーンは、戦前のホラー映画「オペラの怪人」が元ネタなんでしょうか? 何か…よく似てます。
「クワイエット・プレイス」の母親が叫ぶシーンが出てきましたが、この映画では父親が叫ぶところのほうが印象的です。いかにもアメリカ人が好きそうなシーンです。
日本映画で印象的な「絶叫」シーンとなりますと、三隈研次の「新撰組始末記」で藤村志保が市川雷蔵に抱きついて叫ぶシーンと、黒沢清監督作「クリーピー 偽りの隣人」の最後で竹内結子が泣き叫ぶシーンが頭に浮かんできます。
どちらとも、恐怖のさ中に叫ぶのではなく、恐怖から解放された後に叫んでいます。確かに怖い思いをしている間は、叫び声すら出ないくらい体がこわばっているのが普通かと思います。そして、その緊張から解き放たれたとき(それでも、喜びというよりは何か暗い感情が心を占めているとき)、押しとどめられていた叫びがわっと出るというのはリアリティがあると思います。
アメリカ、日本以外の国ですと、上記の「戦艦ポチョムキン」もいいですし、先日亡くなったピーター・ブルックの「雨のしのび逢い」で最後に響き渡るジャンヌ・モローの叫び声もインパクトがあります。
そして、何といってもイエジー・スコリモフスキの「ザ・シャウト/さまよえる幻響」です。すさまじい叫び声で人をも殺せるという(「オバケのQ太郎」にでてくるО次郎の「ボム!」みたいなものです。また古い…)謎の男が主人公で、ジャンルでいえば超能力スリラーにあたります。
この映画が製作されたのは1978年で、ユリ・ゲラーブームもあり、デ・パルマの「キャリー」などの超能力映画が多く作られた時期です。しかし最近でも「エッセンシャル・キリング」や「イレブン・ミニッツ」など、戦争映画とかサスペンスとか、何らかのジャンルに当てはまりそうでいてどこかはみ出したところのある映画を撮り続けているスコリモフスキ監督ですから、この映画もやはりその他の超能力ものとは一線を画した、不思議な映画です。
特に印象に残るのは、砂丘らしき場所で、髭面の主人公(演じるアラン・ベイツのふてぶてしくいかがわしい雰囲気が最高です)が鼻の穴をおっぴろげ、大口を開けて叫びを発した途端、近くにいた山羊だか羊だかの群れがバタバタッと倒れていくシーンです。名シーンといっていいのかはわかりませんが、少なくとも強烈なインパクトと残す(それでいながら笑えたりもする)シーンです。
この映画には、上記のベーコンの「ベラスケスの教皇インノケンティウス10世の肖像画による習作」が出てきます(別バージョンなのか、拡大しているのか、バストアップになっています)。スコリモフスキは、ベーコンのコンセプトを意識していたのか、確かにこの映画も、恐怖や不安から来る叫びではなく、叫びそのものを描いた映画です。しかしそれだけでなく、叫びが恐怖をもたらしているともいえます。
―――
恐怖→叫び→恐怖と、結局一周回ってきたわけですが、何かにつけ「静かにしろ!」「黙れ!」とどやされる今の世の中で、この円周を打ち破るためにも、あえて叫びを、それも他人のではない、私自身の叫びを叫んでみたほうがいいのかもしれません。
なんて言いながら、結局はいつも小声で愚痴ってばかりの私なのですが…。
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「太宰治」「中原中也」
今回のデザインは、2人の文学者を題材としたものです。
太宰治も中原中也も、100年以上昔に生まれた人ですが、今もなお熱狂的なファンがたくさんいます。
だいたい文学に興味を持ち始めた若い時期に出会って夢中になる人が多いと思うのですが、年をとってからもときどき読み返したくなって、本を手に取ってページを開くと、やっぱり心に熱くなるものを感じて読みふけってしまう…、あくまでも印象論ですが、そんなファンが多いようなイメージがあります。
もしかすると、そういうファンにとってこの2人は、人の恋愛経験の中で「ほんとうの恋を教えてくれた人」みたいな存在なのかもしれません。
ウィキペディアで知ったのですが、太宰治はデビューして間もないころ、同人誌を出そうと思って中原中也も誘ったのですが、酒乱で有名だった中原中也は酒席で太宰にしつこく絡み出し「青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって」などと罵声を浴びせたそうです(同じく同人誌に誘われた檀一雄が『小説 太宰治』に書いているとのこと)。
さすがに中原中也ほどの詩人になると、人を罵るのにも技巧的な表現(鯖の青と空の青が対比されている…)をつかうんだなあと感心させられるエピソードです。
この2人のファンはもちろんのこと、文学好きやデザインが気に入ってくださった方も、TシャツトリニティのHungry Freaksをぜひ覗いてみてください。
ルドゥーテの『バラ図譜』
「バラの画家」「花の画家」とも呼ばれる植物画かピエール・ジョゼフ・ルドゥーテはベルギー(南ネーデルランド)生まれですが、フランスで活躍しました。
彼が生まれたのは1759年、亡くなったのは1840年です。つまりブルボン王朝の末期からフランス革命、ナポレオン帝政、七月革命と、フランスの激動の時代をルドゥーテは間近に体験しています。
間近どころかその内側にいたといってもいいでしょう。フランス革命がまさに始まろうとしている1789年ごろ、ルドゥーテはマリー・アントワネットに仕え、博物収集室附き素描画家の座にありました。
もちろん革命によって、彼はすぐに雇い主を失うことになったのですが、外国人だったからでしょうか、マリー・アントワネットら王家の人たちが続々と逮捕・処刑されても彼自身は巻き添えを食うことはありませんでした。
そしてナポレオンが現れます。
この「英雄」率いるフランス軍が、イタリア、オーストリア、そしてエジプトと激戦を繰り広げているさ中、彼の最初の妻ジョゼフィーヌは騎兵大尉イッポリト・シャルルと不倫を重ねたりなどしながら贅沢三昧の暮らしをしておりました。
無類の植物愛好家だった彼女は、夫ナポレオンからのプレゼントであるマルメゾン城の敷地内に本格的な植物園を造ります。そしてスタッフも一流をそろえましょうということで、植物学者エティエンヌ・ピエール・ヴァントナや園芸家シャルル・フランソワ・ブリソー・ド・ミルベルらとともに、ルドゥーテを雇い入れました。
ルドゥーテが最初に着手したのはユリ科植物の画集だったようです。しかしマルメゾンの植物園で最も充実していたのはバラのコレクションでした。そこでルドゥーテがジョゼフィーヌ(このときすでにナポレオンと離婚していましたが、皇后の地位には留まっていました)にバラの画集を作ってはどうかと提案しますと、ジョゼフィーヌも「それ、いいわね」と賛同しまして、ユリ科が終わったら今度はバラ、ということになりました。
ところがその直後に何とナポレオンが失脚、エルバ島に流されてしまいます。すっかり気落ちしたジョゼフィーヌはたちまち体調を崩し、そのまま肺炎を患って51年の波乱に満ちた生涯を閉じてしまいました。
予期せぬ形で雇い主を失ったルドゥーテでしたが、画集の制作を諦めることはありませんでした。自ら苦心して資金を集め、『ユリ科植物図譜』全8巻をどうにか作り上げますと、すぐさまバラのほうに着手し、ジョゼフィーヌの死からちょうど10年後の1824年、『バラ図譜』全3巻を完成させたのでした。
ルドゥーテの『バラ図譜』は書物ですが、現在のような大量印刷によるものではありません。掲載されているすべての作品は銅版画の多色刷りで、その上さらに一点一点、着彩を直接加えてあります。
銅版画は通常、線を銅板に刻むのですが、ルドゥーテは線はでなく点を刻むスティップル・エングレービング(点刻彫版)というイギリスで開発された技法に独自の改良を加えて、植物の非常に柔らかで繊細な陰影や質感を見事に描き出しています。
『バラ図譜』の原画はルーブルの図書館に保管されていたのですが、パリ・コミューンの蜂起の混乱の中で火災にあい、焼失したといわれていました。しかし現在では、その一部が見つかっているようです。
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